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随分間が空きましたが、
秦町の家、工事は順調に進んでいます。
今回の台風も
おかげさまで現場では何事もなく過ぎて一安心。
外部の仕上げもようように完了して、
足場をはずすまでになってきました。
黒い外壁はガルバリウム小波板。屋根も潔く同大波板。
色合いと建物のボリューム感がお隣の古い家ともよく揃っています。
内部の丸太梁は
空間が出来上がってくると
またその存在感を増してきました。
サンルーム。
日がよく入って洗濯物もよく乾きそうです。
階段が設置完了。
古材を使った造作もそこここで進んでいます。
前回< >つづく
前回から早1ヶ月近く空いてしまいました。
台風が近づく中、
衆議院選挙があったりして
なんだか騒々しいですが・・。
すべての建築家は反戦論者だ、と言った
ある高名な建築家がいました。
その理由は戦争は建築を破壊するから。
建築ばかりでなく
生活も命も破壊にさらされるような状態を
望んでいるものなど誰もいないと思います。
そんな方向へ導かれないように進んでいきたい、
とあらためて思う選挙でした。
さて、現場報告の続きです・・
西棟のほうですが・・
1階の床仕上げが始まりました。
張っているのは
製材後、数年野ざらしになって
経年変化したナラ材。
ざらざらとして粗い
独特のラフなテクスチャーになっています。
2階の造作も進んでいます。
この部屋は
洋服作りのアトリエになる予定で
造り付けの作業テーブルと棚が
壁面に取り付けられています。
吹き抜けも
下地や造作が仕上がってきました。
背の高い書棚には
可動式のはしごが取り付けられました。
これは
お施主様のコレクションしていた
古い鉄はしご ↓ を改造したもの。
西陣の織屋さんで
使われていたものだそうです。
書棚に沿って左右に動くように
足元には車輪を取り付け、
上部にはガイドレールとローラーを設置。
吹き抜けをはさんで
北側にある和室も
仕上げが進んできました。
天井も張り終わり、
壁の左官仕上げも完了。
古建具の障子が立てられています。
南のアトリエ側も仕上がってきました。
新しく立てられた柱には
わびすけで古色付けがされています。
吹き抜け内も
白く塗装されて光が廻ります。
外部庭側では
大谷石が搬入され、
テラスと続きの内部床の仕上げが
進んでいきます。と、同時に・・
隣家との間に
あらためて塀が立てられていきます。
基礎部分は大谷石の巾木に。
1階内部床の仕上げが完了し、
外部の塀も白く塗られて完成しました。
あとは内部壁面の塗装仕上げです。
平行して東棟の方では・・・
1階厨房周りの造作が進行中。
タイル貼りの
キッチンがいよいよ仕上がってきました。
シンク部分はステンレス。
元々厨房の幅に
あまり余裕がないところでしたが、
その中で通路幅と
対面や側面の収納家具寸法や
仕込まれる設備との取り合いを考慮しつつ、
既存躯体の歪みを吸収しつつ、
壁面と続きのタイル割りがあり、
変形の2槽SUSシンクとの納まり寸法や形状など
クリアする条件が多くて
(数多くあった)大変な箇所(の内の一つ!)でした。
現場の皆さん、ご苦労様でした。
収納造作も完成。
・・微に入り細に入り、確認しつつ
寸法形状を決めたつもりでしたが
後から修正が出たのは残念無念・・・
上下収納の間は
作業台を兼ねたサービスカウンターで
和室側へすぐに給仕できるように
壁面に開口を設けました。
2枚引き違いの障子をはめます。
その間、2階では
左官の仕上げ塗りが進行中・・
漆喰パラリと土壁
を合わせたようなテクスチャーで
光を
美しく受ける壁面が
仕上がってきました。
引き続き
古建具の立て合わせ。
そして
キッチンのタイル貼りと
キッチン本体の設置。
こちらはステンレスのカウンタートップに
木製造作の下部。
そして造作家具の設置。
こちらは施主支給の古建具を利用したもの。
天板はカリン。
その対面には
テレビ、オーディオや食器類、
電話などが収納されるラックが設置されました。
天板はモアビ。赤みを帯びた色あいが
ヒノキの家具と壁によく映えています。
クローゼット内では棚の取り付け中。
続きの脱衣室の天窓からの採光が
届くように、
欄間部分にはガラスがはめられます。
2階トイレ横の手洗いも
機器の設置とカウンター造作、タイル貼り、
そして壁面の仕上げまで完了してきました。
古い家を今の生活に合うように直す
という仕事を何軒もしてきたうちに、
所有という概念と
それを根拠に成り立っている制度が
随分曖昧だということを実感しました。
例えば、
建築した当初の所有者は
今はなく、しかし今も生かされることを
待って存在する古い家を見ていると、
先述の二つには、
今ただそこにあるシンプルな現実
を許容することが出来ないことがあるのです。
そんな経験をするうちに、
ジョン・レノンのイマジンが
あらためて深い共感を伴って
響いてくるようになりました。
先述の二つとそれに基づく諸々に
出遭うと僕らは
現実はそういうものだ、と
それ以上先に進むのを
やめてしまいがちだけど、
実はそちらの方が
現実を歪めているように思えます。
誰かの都合や空想でない世界は
目の前にあって、
それをそのまま生きるありようが
人間にはあると思います。
ジョンが歌ったように。
それがあるから、
僕らは違和感を感じるのでしょう、
そして希望も。