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5年前に
新店舗を造ってオープン(→)した
やおやワンドロップさん。
5年の間に
野菜以外に扱う品物の幅も増え、
お店も変化しました。
そこで、
色々な形を検討した上で、
今までバックヤードだったところも売場として、
拡張することも含めた改装工事を
この夏にすることに。
解体が始まりました。
棚も構成が変わります。
レジカウンターが撤去されました。
使われていた材は再利用します。
店の奥でバックヤードだったところ。
大型冷蔵庫が移設されました。
さて、数日後・・・
現場に材が運び込まれて
作業が進んでいます。
入口を入ってすぐの棚はガラリと様相を変えています。
既存の棚が撤去され、
古材と新材を組み合わせた棚の製作中。
コーナーを廻る棚。
木だけで組んで造っています。
棚面が斜めな上にコーナーを廻るので
なかなか難しい仕事です。
元のバックヤードの方には
勾配天井が架けられて、造作が進んでいます。
どんな風に変わりますか・・お楽しみに!
工事は前回と同じ櫛谷建築さん。
どうぞよろしくお願いいたします。
新しくなったお店の開店は8/17の予定です。
皆さん、どうぞお楽しみにしていてください。
(つづく)
今年もついに暑い夏がやってきましたが・・
現場の方は少し前を振り返ってみます。
東側の方・・
階段室の天井を開口しました。
元々、光が入らなくて昼間でも暗い階段でした。
その上の天井裏を白い箱にして、
取り込んだ外光と照明光が廻るようにし、
間接光として室内へ落とすようにしました。
2階主室の工事が進んでいます。
角度の変わる天井が外光の表情を変化させます。
仕上の為の下地が出来上がっています。
内部には元はなかった断熱材も設置しました。
吹きぬけになった上部には高側窓を設置して
新たな採光と通風を確保します。
主室の左官仕上げサンプルが
いくつか出来上がってきました。
漆喰パラリと土壁の間のような壁を
作ってもらっています。
なかなかいい雰囲気になりそうです。
1階の方も工事が進んでいます。
新たな収納。内部は桐板張りです。
一方、西側の方は・・
奥の方の土壁と2階床梁の様子。
通し柱は壁の中に隠れていて、
半丸太のような細めの柱で、足元が傷んでいそうです。
土壁が浮いてぐらぐらしているのですが、
外壁が仕上がって隣家が迫っているため、
外から補修することが出来ません。
軸組みが緩んでばらばらになっているような状態でした。
床梁も虫食いなどで傷んでおり、又サイズも小さめです。
そこで内側に添え柱と添え梁を組んで
新たな架構を補強として造ることにしました。
主要な通りに添え柱を立て、
胴差と床梁を新設します。
柱足元は柱勝ちにし、
足固め的に土台を柱間に設置して
柱同士の足元を繋いでいきます。
袖壁を設けて、耐力壁とします。
胴差と足固めの間は新しい壁が立ち上がります。
耐力壁が出来てきました。
床は土間の上に転ばし根太で
板張り床として仕上げます。
元ミセと台所の境だったところ。
柱足元の框は撤去された床梁を再利用しています。
これより手前は土間仕上とします。
この部分はしっかりした柱が立っていたので、
壁とともにそのまま見せて再生します。
2階のほうも屋根下地が
歪みも直して出来上がってきました。
新たに生まれた吹き抜け。
現場には天井仕上げ材が組まれて
搬入されています。
床梁の間にはめこまれていきます。
・・・・・
さて、今現場の方はここまで進んでいます・・。
西側です・・
吹きぬけに面したカウンターと書棚。
養生されて塗装工事が進んでいます。
元ミセの玄関ホール。
既存柱と修復された漆喰壁。
古材で収納付の飾り棚が組まれています。
この部分は
既存の雰囲気と既存部材を活かすように
再生されています。
天井に見えているのも既存の2階床板です。
竣工までもう少しになりました。
現場の皆さん、よろしくお願いいたします。
(つづく)
民藝に潜む、現代における可能性を
掘り起こされている哲学者の鞍田崇さんが、インスタグラムに
河井寛次朗が建築について述べた文章のことを書かれていました。
とても興味深いなあと思ったので、
ちょっと長いですがここに引用させてもらいます・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どんな農家でも――どんなにみずぼらしくっても――
これは真当の住居だという気がする。
安心するに足る家だという気がする。喜んで生命を託するに足る気がする。
永遠な住居だという気がする。これこそ日本の姿だという気がする。
小さいなら小さいままで、大きいなら大きいままで、
どれもこれも土地の上に建ったというよりは、
土地の中から生え上ったと言いたい。
どんな家も遊んでいるような家は一軒もない。 〔・・・〕
この村は個々の集りが全体という感じよりは、
全体があって個々だという方の思いが先に立つような村なのだ。
この村を見る人は誰でも個々のものより全体を先に見付け出すに違いない。〔・・・〕
人々は始め自分達の好き勝手を持ってここに這入って来たのに相違ない。
そして殖えるにしてもそんなにして殖えたに相違なく、
その自分勝手な振舞の組合せが現在この村の姿なのに相違ない。
その好きずっぽうの綜合がどうしてこんなになったのか。
自分はこの驚くべき設計者の顔に当面せざるを得ない。
しかし村の人達は村の美について勿論気付いている訳ではない。
それどころか、何処の村でも大抵の場合、そういう事には無関心である。」
ーー 河井寛次郎「部落の総体」1944 より
・
昨日のトークでもお話ししたのですが、
「民藝と建築」という主題を掲げて問われるべきこと、
そうしてその答えの方向はここに言い尽くされている気がします。
・
総合的な視点、そんなふうにもいえますが、
たぶん、そんなふうに表した途端、肝心なことは
スルリとすり抜けてしまうような、何か。
しいていうならーー「化物のような喜び」(前掲書)。
・
化物のような喜びの化物ぶりが昇華したのが河井寛次郎の作品と生きざま。
民藝と建築を通して僕らがもういっかいとらえ直したいのはまさにそこだと、
やはり喜々として祖父を語る鷺さんを目の前にして思い入った昨日でした。
そうして、それがたまらなく楽しくもあった昨日でした。
・
(後略)
・・・・・・・・・・・
鞍田さんが抜粋、編集された、寛次郎先生の文章を読んでいて、
この村の成り立ちと個々のありようについて、
その生い立ってくるさまがなんだか近いなあと思い出したのは
野口整体の『活元運動』でした。
建築とはあんまり関係ないようですが・・。
活元運動というのは、
個々のからだの内側から湧き起ってくる無意識の動きを
自由に出させてやることで、それぞれの歪みやストレスを解放、
調整して本来の自分のありように至る、という運動です。
特別なことではなく、日常、無意識にしているあくびやのびなども
おなじ作用から生まれる、活元運動ということができます。
集団で行うと相乗効果で全体のそのときそのときに相応しい調整が
行われているような感じがあります。
個々の動き自体は自由奔放で決まりも何もない
(といって身体構造上不自然な動きや超人的な動きが出るわけではありません)のですが、
不思議なことに『意識的でない』動きに身を任せていればいるほど、
周りの人と当たったり、怪我したりということは起こりません。
私の体験から言いますと、
内面で起こってくる動きを感知して
その動きの動きたいように動いていくと、次々に別の動きが
現れてきて、次第に体の自発的な動きが優勢になって
自分でも止められない様な動きになっていくことがあります。
(音楽の即興でのセッションに似ているところもあります)
周囲を見回してするわけではなく、
基本、ぼんやりとしか見ていないのですが
周りの様子や気配は感じられて、それがきっかけで
現れる動きが変わっていくようなこともあります。
この運動が
村が出来上がっていく過程によく似ているなあと思うのです。
同じような作用が働いているのではないかなと感じます。
・
村の人は好き勝手に、自分のよいと感じる場所に
家を造っていったのでしょうが、
まず、選んだ場所のもたらす方向付け(制約、条件)
を受け入れて造っていくことになります。
造成や工法、素材についても、
今のように自由に何でも選べるわけではないので、
ある制約の中で状況に応じた選択をして出来上がっていきます。
・
活元運動のような短時間の中で起こることではありませんが、
村人は結局、自身の希望以上に、その場所の声に耳を傾けながら、
そこに沿ったものを造っていくことになります。
その場から感じるものの延長として、配置や間取りが生まれてくる・・
その場のもつ潜在的なベクトルが姿かたちとして現れてくる・・
その過程が長い時間をかけた活元運動のように感じられるのです。
自由さがなくて制約ばかりの中から生まれてくるのでは、
まるで逆のことではないか、と
感じられるかもしれませんが、活元運動の自由さは、
『意識によるコントロール』という制約から
自由になることからもたらされるものです。
村人の建設行為は、
現代と違って、どんな風にでも造成できたり造ったりできる技術や工法が
なかったからこそ、『意識によるコントロール』を免れて、
そのもたらす制約から自由になれていたのではないかと思うのです。
『意識によるコントロール』というのは、
結構私たちの本来的な自由さを束縛していることが多いのではないかなと思います。
活元運動と村人の建設のいとなみの根底にあるものが
おなじものに触れているのだとしたら、
それは大きく言ってしまうと いのちそのもの、のような気がします。
それが「化け物のような喜び」として感じられるものなのかな・・・
この辺りは何とも言えませんが・・・。
鞍田崇さんのインスタグラム(→)
7月に入って
現場ほど近くの四条界隈では
祇園祭が始まっています。
今日は現場のあと、
四条沿いの喫茶店で打ち合わせしていたら
月鉾の曳き初めに偶然出逢いました。
街中に鉾が立ち並び、
お囃子が聴こえてくると
いつもと違う世界へ繋がる扉が沢山開け放たれて、
そこからいつもと違う風が
街中を吹いてくるような感じがします
あたかも神々が集うてこられたかのような・・・
さてこの現場ももう大詰め、
今月末にはお引き渡しというところまできましたが、
ブログでは寒い時期まで遡ります・・・
東側の方は
水周りの辺りの再構成。
基礎を打ち直し、
軸組みに揃えて壁をたて直して
耐力壁になるようにしています。
奥に通風のための新しい開口を設けました。
2階は床梁や火打ち梁を増やして
水平面が固まるようにしていきます。
間仕切りも再編していきます。
2階が主なプライベートエリアになるので
水周りが新たに出来ます。
2階のメインルームになる部分が次第に見えてきました。
これまでのこの家の歴史の中で生まれてきた、
切り替えられた屋根や、
屋根下の大きな懐が活かされた空間が
かたちになって行きます。
そこでの行為や気分に沿う場所になっていくことでしょう。
こちらは西側・・
傷んだ屋根を撤去しました。
シート製全面トップライト。なかなかいい感じ。
しかしここで壁が倒れたのを直していくと、
屋根の幅が狭くなっていることがわかりました。
多分東側の建て替え時に、
そちら側に倒れていったのをくい止めるために
あわてて切って縮めたのではないかと・・・
壁間の寸法どおりにカットすると
母屋と梁長さが足りなくなるので、補強や部材の交換で
補うことに。
こうした軸組みの補強や差し換え工事の最中に
フランスの大工さんJeremyが現場見学に来ました。
四国で伝統工法の工務店を数日間見学してきて、
京都にやってきたそうです。興味津々。
一方でここで使う古建具を決めていきます。
お施主様が
あちこちのお屋敷などの解体現場から譲り受けてきた
古建具を沢山ストックしておられたので
それを1枚1枚撮影、採寸し、
合いそうな場所へ当てはめていきます。
合うものが無ければ又他を探します。
・・・・・・
そのように進んできた現場の
今日の状況は・・
先の2階メインルームは清掃まで済んでいました。
明るく清々しい部屋になりました。
杉の木の香が室内に満ちています。
キッチン側。
造りつけカウンターの下部収納の建具は
施主コレクションの古建具。
きれいに幅詰めもしてもらって蘇りました。
天板はカリン。
対面はオーディオやテレビなどが納まる壁付けのラック。
ヒノキ製。天板は洋桜、モアビ。
一方、西側は・・
庭のテラスまで大谷石が張り終わり、
新しい塀が立ち上がっていました。
大工工事はほぼ終わり、
仕上の塗装と左官工事、
そして玄関扉の製作を残すのみとなりました。
手のかかる箇所の多い現場でしたが
ようやくここまで仕上がってきました。
櫛谷建築の皆さん、ごくろうさまです。
(つづく)
亀岡にほど近い、
高槻の山間の古民家を
素敵な場所にしようと考えていらっしゃる方がいて、
そこの改修設計を依頼されました。
案内されてたどり着いたそこは
日当たりよく、風通しよい、気持ちのよい場所。
ここちよい軒の低さの茅葺の母屋。
民家としてありのまま、
長い年月をここで生きてきた健やかさが
今でもありありと感じられます。
敷地内には茅葺の母屋と
2階建ての離れ、土蔵の3棟があります。
離れには梁で持ち出して
1間半の深さのある軒がかかっています。
ここちよい半屋外空間。
土蔵は大分傷んではいますが
かなり細工の凝った左官仕上げが
施されていた様子がうかがえます。
さて、
日を改めて実測調査に入りました。
母屋外壁周り。
風情のある土壁は、
建築的には土の剥がれ落ちた壁なので
補修が必要です・・。
内部の様子。
長い年月空いていたようで、
傷んだ床などは撤去されてしまっています。
土のままの土間とおくどさん、その上で多層に架かる丸太の梁組み。
柱の足元などは湿気で傷んでいますが、
まだ手を入れて直す余地はありそうです。作業は沢山ありそうですが・・。
土間の一角にある牛小屋のスペース。
周りの土間より低くしてあり、
外から直接出入りできるように専用の引き戸がついています。
土壁は露出にせずに板を張ってありました。
おくどさんの上の煙り出し。
内部では梁を利用した垂れ壁で
おくどさんの前が区切られて、
煙を居室側に行きにくくし、
こちらに流れるようにしてありました。
後年付け加えられたらしき、流し部分の増築。
窓下の腰壁は石積みをモルタルで固めたもの。
多分、セルフビルドだったのではないでしょうか・・。
モルタル流しのつく腰壁には、
水にも強いしぴったりだったのでしょう。
近くで拾ってきたような石かもしれませんね。
蔵の中。
曲がりのある材が通し柱として使われていて面白いです。
床下は湿気で傷んでいました。
この3棟が今あるよさを残しつつ、
新たな場所に生まれ変わる為に
何をなすべきか、なさないべきか、
見出すために
この場に身を置き、
建物たちと関って感じた数日間と
それを図面にする作業を経て、
ふさわしいかたちが次第に見えてくることでしょう。
おぼろげに感じられるその姿からは
既に光が放たれていて
その光が導いていってくれます・・。
ここは日本食で皆さんをおもてなしする場所になります。
楽しみです。
そういえば、このすぐそばには
豊受姫命をお祀りする神社がありました。
食物・穀物を司る女神で
伊勢神宮の外宮に奉祀されている豊受大神です。
この神様に導かれて、
お施主様はここに辿り着かれたのかもしれません。
つづく >