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2023.09.21 Thursday
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2015.08.21 Friday
プチ関西一週した日 その2
2015.08.20 Thursday
現場進行中( こでいしの家 6 )
現場では
土間仕上げ工事が進んでいます。
玄関からそのまま続いたこの場所は
農作物の保管や仕分けなどの作業をする土間です。
墨モルタルのこて押さえ。
質感を感じさせるように少しムラを出した
くすんだ色合いの仕上げ。
落ち着いた雰囲気になりました。
中央には床排水の側溝があります。
コンクリート高基礎部分も同じ仕上げです。
白壁部分との対比が出来て、
より光を感じます。
格子越しのリビング。
1階から2階への通気が生まれます。
夏場は屋根面からの熱で暖められた空気が
屋根下に溜まるので
その空気が上に抜ける道があると通風が生まれます。
このまま左手の部屋の窓から外へと換気できるようにしています。
周囲を緑に囲まれた恵まれた環境。
竣工を目前に、現場は進んでいきます。
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『 こでいしの家 』 |
15:54 | - | - |
2015.08.15 Saturday
地蔵盆
今日は町内会の地蔵盆。
ここに住んで何年にもなるのに、
地蔵盆は子供のためのお祭り、
という認識もなんとなくあって、
お盆に重なって−本来はもう少しあとの時期らしいーいたことや
子供がいなかったこともあって、ずっと参加してこなかった。
今年は門がいるので初めて参加することに。
うちの町内のお地蔵さんは
細い道沿いのお風呂屋さんの入り口横にあって、
レンガ造の基壇の上に載った、
こじんまりと簡素な造りながらも
観音開き格子扉付の銅板葺妻入屋根の祠の中にいらっしゃる。
周りの町内の地蔵盆は
ここ数年、少子化のせいもあるのか、
どこか大人たちの宴的な様相も帯びつつあって
夜もBBQをやったりして盛り上がっているところも多々ある。
が、うちの町内はお風呂屋さんの営業もあるし、
長く通行止めにもしにくいし、
朝から午後までの地蔵盆で、周囲と比べると地味な印象。
前日の朝に祠の前に集まって、
みんなで祠とお地蔵さんのお掃除をする。
普段近所で顔を見ている人も初めて会う人もいて、
それでも一緒に作業するうちに
なんとはなしにうちとけた雰囲気になってくるのが
ほのかにうれしくてここちよい。
子供たちもお地蔵さんを洗ったりお手伝いしていて、
なんともいえずどこか楽しげで和やかな感じ。
お地蔵さんの前では誰もなんだか素直にやさしくなるのかな・・。
当日の朝、
お寺さんがやってくる前に皆で飾りつけをする。
長老がいてあれこれと指示をしてくれる。布を入口にかけたり、
のぼりを立てたり、提灯をぶら下げたり・・
と男たち数人で作業する。長老は温厚で穏やかな方たちだ。
作業も穏やかに和やかに進んでいく。
準備のメインは今年の当番(?と思う)の方(主にお母さん方)たちで、
飾りつけ以外にも事前の準備や当日の諸々の段取りで
色々と大変そうだ。ご苦労さまです。
こんなに色々あるとは全然知らずに、
今まで何年も、家に届けに来てくれる
お供えのおすそわけを頂くだけだったことを申し訳なく思う。
そのうちにご近所のお年寄りの方たちも出てきて
いつの間にか、子供たちも集まって祠の前は賑わってきた。
思ったより沢山子供がいるんだな〜。
門も初めて会う方にごあいさつ、笑顔で寄ってきてくれるお年寄りたちに
にこにこと愛想を振りまいている。
お寺さんがやってきて、
祠の前の緋毛氈の上の座布団に座ってお経を上げる。
数珠をもったお年寄りたちの手を合わせる姿は
とても真摯なものがあって、見ていて心がすうっと洗われる気がする。
子供たちもそれを見てお地蔵さんに手を合わせる。風が吹いていく。
この風はお盆でこちらに帰ってきている方々がのっているようだ。
この平和な光景を祝福するかのように、
清々しさここちよさを運んできているような気がした。
今日は終戦記念日。「戦をとこしえに終わりにした」記念の日。
そのあとはお菓子を頂き、
なかなか揃わない(笑)ビンゴゲームをして、景品を子供たち全員がもらい、
水に浮かべたスーパーボウルすくいをそれぞれがした。
どれも向かいの中3になるしゅんちゃんが「しょぼい!」
と言うような企画なんだけれど、
やっているうちに、しょぼいけれど、
夢中になったり(ー当のしゅんちゃんも)、
普段見過ごしてしまうような些細なことで、大人も子供も笑えたり、
そんなゆるゆるとした、地味でささやかだけど、
心開いた素直な気持ちにいつの間にか
そこにいる人たちが自然になれるような何かが
今ここには流れているんだと感じた。
お地蔵さんという姿であらわれる、子供を守ってくれている存在。
いつか子供だった時に守られていた、皆の中にある大切なもの。
派手に変化できなかった分、
この町内の地蔵盆にはそんなエッセンスがにじみ出るようにあらわれていて、
そのことがこの一見地味な地蔵盆をそのままで持続していく、
皆の潜在意識での希望になっているのかもしれないな、と。
そしてそれはとても貴重で大切なことのように思えた。
門はそんなことを知ってか知らずか、
終始にこにこと、お母さんと一緒楽しそうだった。
2015.08.01 Saturday
『自由への教育』
京田辺にあるシュタイナー学校の
大人のための体験授業を受けに参加した。
ここで普段こどもたちが受けている授業を体験してみる企画。
受けたのは5年生のクラス、
古代史の授業で、時代は古代メソポタミア(〜エジプト〜ギリシャ)だった。
それをメインの授業としながら、
それを補って内容を広げ、深めるように他の授業が構成されている。
18名ほどの人が同じクラスにいた。
わが子をこの学校(または他のシュタイナー教育の学校)に入れたいと思う人、
今入れている人、卒業させた人、
ここのエッセンスを取り入れたいと思う学校の先生、
学校以外でシュタイナー教育のクラスを持って教えている人、などなど。
朝は他のクラスの人も一堂にホールに集まって
ネイティブの歌を歌って踊り、
日常から解き放たれてこころを整える準備のような体験をし、
それから各クラスに分かれる。
プロローグのように先生がたて笛を吹いて授業が幕を開ける。
皆で輪になって竹の棒を両手で操つりながらこきりこ節を歌う。
何だろう楽しいな。
お祈りの言葉を皆で唱える。
日常生活の奥深くで静かに流れている大切なこと。
普段口にしないけれど
それが言葉としてあるおかげで人間として生きる尊厳や根源を
見失わずにすむようなこと。何気なく語るうちに沁みこんでいく。
生きていくときのこころの滋養になるだろう。
こんなことばが子供の頃、学校や家で
あたりまえのように聞き語られているといいなと思う。
授業はギルガメッシュ神話の語りを
ハラハラドキドキしながら聞き、
メソポタミアの風景を絵に描いたり、
楔形文字で自分の名前を書いたり、
円筒印章をつくって粘土板の上に転がしてみたり、
関連する詩と動きをオイリュトミーで体験してみたり、
と多面的に体験していく。知識だけを頭で覚えるのではなく、
手や体を動かして全方位的体験として刻み込んでいくような。
楽しくて知らぬ間に全心身を使っていることに気が付く。
これが学校の勉強なら毎日楽しいな。
こうしたことの根底には
普遍的なところに根差した世界観や宇宙観があって、
教える側にも教わる側にも、その信頼感の上にあって
変な不安や作為がない。
僕の両親の世代は戦争のために捻じ曲げられた神話や
歴史、教育を受けたことで根深い不信感を受け取ってしまったし、
戦後の世代は、その反動で神話や宗教的なことの中にある
大切なこともいっしょくたに否定されて、
子供たちがそれらに自然に出逢う機会が失われてきたような気がする。
代わりにすべてのベクトルとエネルギーは受験勉強に仕向けられ・・。
(勿論それに抗うような教育を志す先生たちも沢山いる。)
そこから生まれてくるものの見方は偏っていて、
物質主義や拝金主義といった言葉にくくられるような社会に
偏向していくのは一人一人が十分に体験してよく知っていること。
どちらも近視眼的で、いのちや人間の存在について
深いところから生まれてくる視点で捉えていないから、
不安や物足りなさを感じる隙間があるような気がする。
そんなことをあらためてありありと
自分の体験してきた教育の姿として照らしだして見せるような
光をここでの教育は放っているようだった。
と、同時にそれは未来への希望の光だとも思った。
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