よく、普通がいいよね、
というときの普通とはどんなことだろう、と考えてみる。
平均的な、目立たない、行き過ぎない、偏らない、
そんな意味合いが込められているように思える。
少し踏み込んだ、
積極的で理想的な捉え方をしてみると、
バランス(均整)がとれている
とも言えそうだ。
そこには、普通がもたらすであろう、
(また無意識のうちに期待されているであろう)
ある種の普遍的な安心感が湛えられている。
バランスという考えにたどり着くと、
それは人によって違ったものになりそうだという想像がつく。
例えば、個人の印象なら体質や性別や個性などによって、
それぞれのバランスポイントは千差万別のものになるだろう。
しかしそのバランスは他の人が見たときに
偏った印象や過ぎた印象になっていると、
普通とは感じられない。
そのバランスポイントが他の人にも共感されうる、
なにか普遍的なところに根ざした上でのものであることが肝要だろう。
そう考えてくると、
普通ということが、
よく陥りがちな、周囲と同じ、皆と同じ、一般と同じ、といった、
感じることなく、思考することなく、受動的に与えられるもの、
というような消極的ものではない、
という認識が開けてくる。
普遍に通ずるまで、
感覚を研ぎ澄ませて感じ、堕することなく思考し、
その上にバランスを一瞬一瞬とり続けているありようを
普通 というのではないだろうか。