久しぶりに風邪をひいた。
身重の妻がいるのになんと不注意な、という気もするが
これでも去年に比べると格段に慎重に過ごしてきた。
去年は忙しすぎて、年末出張の帰路から発熱して
そのまま寝込んでしまったので、
今年は仕事も日々早めに切り上げて
疲れをため込まないようにしてきたつもり。
年明け時点、去年末行けなかった、
京都コンサートホールでの第九の演奏会に
仕事納めの日、妻と設計事務所と料理教室のスタッフ皆で行く、
という目標を立てたので、それまでもう少しのところ。
幸い、今回の風邪は去年よりずいぶん軽く過ぎて行っている。
毎年この季節に風邪をひいて寝込む、
というのがここ数年のパターンになっていて、
年々症状が重くなっていってた感がある。
重さはましだけど、パターンはなかなか強固だ。
今回も仕事はそのまましていたけれど、
あまり無理しないように、体の声に耳を傾ける感じで過ごした。
食べられないときは何も食べない、水分が必要と感じれば水を飲む、
寝るほうがよいと感じれば迷わず寝る、と、
まず先に浮かんでくる体の判断に従ったのもよかったようだ。
意識より体(無意識)の方が自然に沿った対応をしてくれる。
気功の学校で学んだとおり。数年通い学ぶうちに、
そちらに先に気が付けるように変化してきたのだろう。
その状態は風邪をひいている自分を客観的に
見る余裕も生むようだ。
体が弱ると動作や感覚一つ一つの小さい部分にまで
意識が向くようになる。自分の輪郭がぼやけているなあと
感じているときには実際に端から見た目にもそうなっている。
弱っていくと、
自分を構成しているもろもろが段々ほどけていくような感じがある。
それぞれを統御している何かが弱まっているのだろう。
それぞれは各階層でそれぞれの性質に沿ったはたらきをしているようで、
周囲の似通ったものとも通じ合っているような感じがある。
いのちはひとつながり ということを
理窟でなくて感じるとこういうことなのかな、と思う。
しかし、今ここで行為するにはその状態のまま流れていくわけにもいかない。
そこで背筋を立てて(意識して)みる、
と光の一すじが自分の中に立ち上がり、
ほどけかけていたもろもろの中心が見えてくる。
それは確かに存在する。
…とそんなことを感じながら、
回復してゆくさまを見守る風邪の日々は
なかなか面白い経験だった・・。