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いきる
 



数百年の年月を経て
まだ活き活きと生きている巨木。
首をくねらせる龍のようだ。

豊かな水と
それを湛える森の環境があり、
人災にも遭わず守られてきた。
私たちは生命の偉大なひとつのありよう、その可能性を目にすることができる。
人為ではなせないこと・・・。

自然の豊かさと美しさに感動し、
この場所、この星で
生きている僥倖をうれしく思う・・・



参院選が終わった。
投票までの間、
色々な政党の考えについて、
概観であっても、考えてみるいい機会になった。


そもそも政治って何を目的としている業なのだろうか?



この命のありように
そえるようなあり方を
根底のところではみんな望んでいるのではないか、
と思う。
政治に限ったことではなく。




































| - | 13:06 | - | - |
リラの日
 
今日はリラの命日。

リラがまた会いたがってくれたおかげで、
先日は和歌山の海で
僕たちは素敵な一日を過ごすことが出来ました。(









リラありがとう。


そして、
今日はネルソン・マンデラの誕生日で
『ネルソン・マンデラ・デー』という日でもあるということを
偶然知りました。

2008年に
『マンデラ・デー』は国連の国際デーに定められ、
「だれかの幸せのために67分の時間を費やす」ことを推奨しています。

下の動画で
マンデラさんの声で皆さんにお話しされています。

・・・・・・
みんなが住むこの世界をより良くすること、それはあなたの手にかかっています。
マンデラ・デーは祭日ではありません。
マンデラ・デーは奉仕の日です。
時間をかけて、気持ちを込めて、自分の住むコミュニティーが良くなるような何かを
してください。
・・・・・・

http://youtu.be/JIrtMTgAV9A


・・・そういえば、
今朝、妻の久美と
教室の生徒さんのご主人がバトウに似ているって言われてた、という話で
盛り上がったんです(笑ーすみません)が、
そのこころは、その旦那さんが見た目黒人に間違えられるっていう、
話をしていたのでした。
何で朝から黒人の話してるんだろうな〜とか思ってたんですが
マンデラさんの予感だったのか(笑)・・・。


この日のことを偶然知ったのは
あるメルマガからです。
久美は先日リラに会いに行った日のことを『命の日』と呼んでいたんだけど、
そう、今日がまたリラの日で命の日であるならば
そのメルマガを発信している、
この人たちのことをご紹介するには
ぴったりの日なのかもしれません・・・。

















| - | 09:17 | - | - |
ととのう

先日壁の白く塗られた家の工事が
終わりました。

植栽が入って庭が完成し、
この場所に潤いが生まれ、
また奥行が増した感じがあります。



壁に映る光の動き、
雨に濡れた石や葉の様子、
葉や枝の風に揺れるさまは見飽きないものです。
部屋の中を風が抜けていきます。



障子を閉めたところ。
また違った表情と雰囲気です。
和紙を透かした光は柔らかく、和みます。

右手に古建具を入れた新設の収納があります。
幅が狭くて有効に機能していなかったトオリニワを
部屋内から使える収納にしました。

障子と外の建具は、壁の前に引きこめるので、
庭に向けて全開放できます。




塀足元の大谷石に砂利や植栽がよく映えます。
縁側も新しく直って清々しい印象です。

それほど広くはありませんが、
木を植えて庭をつくったことで得られたものは
とても大きなものだと思います。

大地に根差し、
天に向かってのびてゆく植物のいのちの様子、
雨や風に乗ってくる、いのちの循環のさまを、
くらしのいとなみの場のすぐそばで、
いつも見て感じることが出来ること。
人のいのちもその流れの中にあることを
無意識に感じ、確認して、安心するのかもしれません。


もちろん、こうした場も、
建築がきちんと整ってはじめて
日々のくらしのいとなみの中で生きてきます。

この家には何か縁があって、
違う住まい手のために2回、改修に関わってきました。
こういうこともなかなかないことです。感慨深いです。
前には手を入れられなかったところが
今回ととのった感もあり、
もしかすると家に呼ばれたのかな、とも思います。

引き渡しのときにお施主さまが
「何だか(工事に関わっている)みんなの家みたいですね」
と言われていましたが、
確かに、それぞれに想いのある家です。
よいかたちでまた関わることが出来て本当によかった。

2回の工事を施工してもらった櫛谷建築さん、
丁寧な仕事をどうもありがとうございました。
庭をつくってもらった宮川庭園さん、
どうもありがとうございました。


新しいくらしの場がととのいました。




















| 『町家改装』 | 10:35 | - | - |
人間
 
今日、
大通りに面した4階建てのマンションの
3階のベランダを掃除しているおばさんを見た。
ごく普通のおばさんが掃除しているごく普通の光景。
ベランダは各部屋ごとに独立した手すり風の囲いがついている。
各部屋の手すり同士は1m以上は充分空いていそうだ。

と、そのおばさん、
掃除を済ませたと思いきや、
これまたごく普通の感じで
手すりを乗り越えて隣のベランダに移っていき、
そこでまた掃除を始めた。

そのうち、そこの掃除を終えると窓を開けて中に入って行き、
しばらくすると今度は2階の部屋からベランダに出てきて、
そこの掃除を行ない、またごく普通の感じで隣のベランダへと乗り越えて
移って行った。



人間は自由だ。


実際のところ、人間の可能性は
人間が作ったものや形や決まりの中に納まるようなものではない。

人間ほど面白いものもないな、と
思った。















| - | 23:42 | - | - |
まなびのば
 


先日、京田辺にあるシュタイナー学校を見学する機会がありました。

見学に来られているのは
私のようにシュタイナー建築を見ようという人よりは
勿論、ここに子供さんを通わせたいと希望されている
父兄の方々がほとんどです。

学校の生徒さんのお母様達が
授業などの説明を交えながら、校内を案内してくれます。

1年生から12年生までの教室を巡るうち、
子供の発達段階に合わせて変化してゆく
空間の形態や色、光といったことから受ける印象を体感しながら、
説明を聞いていると、
なぜだか熱いものが込み上げてきて
涙がこぼれそうになりました。

子供たちがいかに尊重されているか、
人間への深い理解に基づいて、
子供たちを導き、育てようと払われている
数多くの人々の深い配慮を
無言のうちにひしひしとこの場所から感じるのです。


こんな印象を受けた場所には
これまであまり出逢わなかったような気がします・・。



どこに基づいて
ある行為をし、
そのための場所が立ち上がってくるのか。

ここで受けた感動は
人間についての理解や捉え方の
その深さにもあったのかもしれません。

この場があることが
子供ばかりではなく
大人も含めた人間存在を尊重することの
証であるように感じられます。
























| - | 15:59 | - | - |
『 ねごろの家 』 2

表側の母屋だけでなく、
お姉さん夫婦の住まわれている裏の離れも合わせて
建て替えることになり、設計と見積、
そして前面道路が法的に道路扱いでないということがわかって、
道路扱いするための申請など、
様々な作業や手続きをするうちに一年が経ちました。

ようやく着工出来る運びとなり、
こちらのほうが母屋の工事より先になりました。

工事はツルミ建築の亀井さん。



6月1日に地鎮祭があり


敷地を整える炭埋を9日に行ない。

そして基礎工事を経て、
いよいよこの7月6日が棟上げです。

朝から部材が次々と組み上げられていきます。



早いですね〜。


隣の空き地にクレーンを止め、部材を吊り上げていきます。


いよいよ最終段階。
途中通り雨も降りましたが、
無事に棟まで上がりました!ご苦労様です!!


棟札を上げて
無事に棟上げが終わりました。
よかったよかった。

これから工事が進んでいきます。





















| 『 ねごろの家 』 | 23:27 | - | - |
おんがくにささげる

「私が行けないから、
代わりにあなたたちで演奏会に行って来たら」


と、母からコンサートのチケットをもらいました。
一音寺室内合奏団という、京都の弦楽合奏団の演奏会。
昔、一緒にヴァイオリンを弾いた友人や、指導をうけた先生方が加わっています。
年に一度の定期演奏会を続けて、もう17年になるそうです。
私の(もう二十年以上前になる)卒業後も
教室や組織のヴァイオリンの世話役をやっているおかげで、
母にはこういう機会や情報が、日常的に身の回りにある環境があります。
自分で楽器を弾いてはいなくても、音楽が身近にあって、
ごく自然にくらしの中に入り込んでいる様子で、
とてもいいことだなと思います。


教室を終えた久美と
会場の京都コンサートホール・大ホールへ向かいます。
沢山の人で席は埋まっていました。
この演奏会前の、期待に満ちつつ、
日常から気持ちが切り替わっていくときの会場の雰囲気が好きです。


曲目は
O.レスピーギ リュートのための古代舞曲とアリア 第3組曲

J.ブラームス 弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 作品18(弦楽合奏版)

A.シェーンベルグ 浄夜 作品4


音楽監督・コンサートマスターの双紙正哉さんがいて、
指揮者はいません。
数十人いる様々な弦楽器の演奏者全員が
曲の流れにのって、
同じ気持ち、同じ解釈で、
自分が弾いていないところも演奏しているつもりで、
息を合わせていかないと合わないだろうな・・・。

・・・などと思っていたところ、
演奏が始まって、その響きにびっくりしました・・。

おだやかに、ゆったりと
息をひそめあって互いの音を聴きあいながら
静かに息を合わせていくように、
奏でられたやわらかで美しい音が
ひたひたと空間を響かせてゆきます。

そこにはこの曲への
演奏者たちの愛と敬意が込められているようで
この曲の美しさをいかに響かせようかという、
ひたむきさと謙虚さに満ちていて、
それがまた響きを純粋に、美しくしています。

この響きを聴いて、
余計な心配や想像をさしはさむことなく、安心して
一緒にこの音楽の響きに身をゆだねていようと思いました。

彼らに指揮者はいなくても、
この音楽に捧げられた演奏には
きっと、ミューズや作曲家たちが、
彼らの中にあらわれて、導いてくれることでしょう・・・。
そんな風にごく自然に思えるような演奏は、どの曲においても
とてもさりげなく、よく息の合った、至福の響きでした。


双紙さんのヴァイオリンはとてものびやかに美しく、繊細に響いて、
しかも全体の調和と曲全体の響きのことに常に意識が届いています。
技術も楽器も、言うまでもなくとても素晴らしいものだと思いますが、
その印象が前に出てくるのではなく
それらが曲と全体の響き、音楽そのもの に捧げられているようで、
その姿勢にもうたれます。
そして、音楽監督のその姿勢は
他の団員の方々全員に共有されているように感じました。

ゲスト・ヴィオリストの柳瀬省太さんの演奏も
とても悠々としてかつ繊細でもあり美しい響きでした。
お二人の掛け合いのようになる部分は本当に美しくて
合奏団の人たちも演奏しながら聴きほれていたのではないだろうかと
思いました。
勿論、他の演奏者の方々の息の合った演奏があってこそ、
そうした部分もよく映えてきます。
そこに共通しているのは、純粋な音楽への愛 なのでしょう。

そのような演奏は
聴いて身をゆだねていてとてもここちよいものです。
音楽のうねりに息が深くなったり大きくなったりしながら、
内面ではどこか活元運動をしているかのように、
音楽を体験していたような・・・。

演奏によって立ち上がってくる
音楽のいのちの流れのようなものがあり、
聴いている間はその動きに立ちあい、そこに身をゆだねています。
その響きの中に余計なものがさしはさまれていないから、
純粋にそのいのちに出逢うことができたのかもしれません・・・。
音楽の力を久しぶりにリアルに体験した気がします。

楽しげなアンコールの演奏も楽しんで、
とても満ち足りた気持ちで会場を後にしました。

一音寺室内合奏団の皆さん、どうもありがとうございました。
また来年も楽しみにしています。



後日、母にお礼を言うと

「たまにはああいうものにもふれてきなさい」

・・と(笑)。 
なるほど、確かにそうですね。
どうもありがとう。









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