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| - | | - | - |
蓮華寺

洛北、三宅八幡の近くにある蓮華寺は
こじんまりとして、静かな雰囲気の良いお寺です。
今頃は夏椿が美しく咲いています。

山裾の住宅の間にひっそりとたたずんでいます。
山門を潜ると、
いつも美しく、清く、整えられた境内に
ひんやりとした清らかな空気が流れていて、
落ち着いて静かな気持ちに切り替わっていくのを感じます。

苔の合間、石畳をゆっくりと歩を進める間、
大樹の緑陰とさわやかな風を感じて、
この穏やかさを楽しみます。

檜皮葺の丸みを帯びた鐘楼や
井戸屋型や鳥居などの造作が
この場所にある秩序をもたらしていますが、
それはこの場所の奥行を増しているように感じられます。
そんな作為のあることも感じさせないほど、ごく自然にあるのですが。


 

それらは
木々やこの場所に沿いながら、
ここで感じられるものをひきだすようなありよう に思えます。
それらが存在することで、
感じている何かが確かに存在していることを
示しているような・・・。




進むうちに、
人の営みと自然の営みは美しく調和する、
というさまを実際に見て、感じることが出来て
よろこばしい気持ちになってきます。




入ってすぐの仏様は
まずそのことについて
感謝をささげるためにいらっしゃるのかもしれません。

たとえ闇の中にいても、
そこには仏様があって
すぐそばには光りと美しさがあるということ。
それを光景として目にします。




柱だけで吹き放ちになった本堂は
庭園の木々に呼応して、
そこも一続きの木々の中にいるかのようです。

山からの流れを活かした池や庭の木々は
もとあった山や木立と繋がりながら、
石によってかたちづくられた池とにわによって
実際の距離以上の奥行を感じさせながら、
双方がその美しさをひきたてあっています。

出来上がったものを見ていると
あまりにも自然に見えてしまうのですが、
これは相当に配慮を行き届かせないと出来ない仕事だと思います。



年月を重ねてうづくりになったぬれ縁の板。
簡素な印象ですが、
掃除や手入れが行き届かないと
このように美しくは保てないことでしょう。



岩肌の見える山裾に
豊かな流れのみえる座敷があって
お抹茶を頂くことができます。

ここの軒の高さは
山肌がちょうどよい景色として見える範囲を区切る
額縁のような役割も果たしていて、
見ていてちょうど座りのよい印象をつくってくれています。


山裾と平地の間の限られた中で
周囲の環境を活かすように、
また美しく見えるように色々な配慮をしながら、
ちょうどよい大きさで、
庭と一体に関係づけて建築を造り、配置して、
この場所と不可分の関わりを生み出している。

今そこにある環境と、
双方を美しくするような関わり方を見出して
形にしていくこと。

そしてそれは
特別なものや方法によって
周囲から際立たせるようなことではなく、
さりげなく、ごく自然に納まるようなもので
十分に成し得ること。

そんなことがここにいると
よく見えてきます。

それはかつての
日本建築と庭園に通底していた
考え方、取り組み方の根本にあったもので、
その実践のよき一例をここに見るのです。

そしてその取り組みが
今においても活かせることではないのかと、
それがどれほど出来ているのかと、
いつも、静かに問われているような気がするのです。

























| - | 12:04 | - | - |
かべをしろくぬる

 


壁が白く塗られると
光と影の軌跡がその上で明らかになります。
暗かったところに光が届くようになります。
壁で囲われた部分は
反射が繰り返されてほのかに発光します。


坪庭の壁が光を生むものに変わりました。

足元の大谷石も活き活きと見え、
室内も明るくなりました。
周囲が新しく生まれ変わったようです。



色々な現場で、
幾度も見ているのですが、
何度見ても
壁がこうして白くなるたびに
明るく、よろこばしいきもちが溢れてきます。










| - | 15:01 | - | - |
にわをつくる
 


現在、改修工事中の町家。

屋根で囲い込んで、
ながらく風と光の通らなかった奥の坪庭を開放して
再び屋外としました。

これで手前から奥に風が抜けて
ようやくこの室内も息ができるようになった感じがあります。
空間が息ができるようになると
色々なものの流れがよくなって
場の印象が変わります。

土間のコンクリートも剥がして、
地面を出しました。これで植栽ができます。

メインには夏椿を植えよう、ということに。
ちょうど今頃、白い椿のような花をつける、立ち性の落葉広葉樹。
葉が光を透かして、白壁を薄く染めることでしょう。
三宅八幡にある蓮花寺の有名な夏椿は
今、瑞々しい苔の上に花を咲かせていました。
そしてまた紅葉も美しい。

足元には日陰で育つ植栽をいくつか。
ほのかな風でもそよぐものや、
てんぷらにして食べられるようなものもあって、
一坪あるかないかのわずかなスペースでの植栽でも
五感で季節感を感じられるような、
色々な楽しみ方が生まれてきます。


緑を見ながらのお風呂もきっと気持ちいいでしょうし、
2階の月見台のようなベランダからは
夏椿が伸びたころに、
夕涼みがてらその花を愛でつつ、晩酌とかも
よいかも・・・と、楽しい想像は広がります。





























 
| - | 09:44 | - | - |
言語造形 『高瀬舟』 大阪 『ことばの家』 公演
 



16日は大阪・帝塚山の『ことばの家』にて
諏訪先生とともに言語造形『高瀬舟』の公演がありました。
お越しいただいた皆様、どうもありがとうございました。

ここは諏訪先生の主催されている言語造形の教室です。
2階建の雰囲気のよい、古い木造の家は
これまで住み継がれてくる中で、
代々大切にされてきた様子が伝わってきます。
感じる気配は何か清らかな印象です。

会場は2階の板間の座敷。
床の間・広縁付で、控えの間がついており、
元々、何かのお稽古に使われるように考えられていたのでしょうか。
窓から見える瓦屋根の隣家もこの界隈の落ち着いた風情を感じさせます。

これからここで言語造形の公演を
定期的に行っていく予定だそうで、
今回はその初回、こけらおとしでもあります。


空間のボリュームや人との距離の違いによって、
響きなどが、上門前での公演のときとは変わります。
演奏も微妙にその影響を受けて変化します。

そして、物語の読み込みがより深化して、
諏訪先生の言語造形も又変化しています。
公演のパンフレットの文章にもあったように、
今回は喜助へのより深く、篤い共感と理解が響きの中にあったのを感じました。
より内面深くで反応したところから出てくる響き、とも言えるのかもしれません・・・。
それもまた演奏の変化を促します・・呼吸を合わせるように・・・。

・・物語は様々な響きを湛えています。



これからこの場所で
また色々な作品が響かせられ、
人と物語の新たな出逢いが生まれるでしょう。
楽しみです。


言語造形とヴァイオリンとのコラボレーションも、
又別の作品にも取り組んでいきたいと思っています。


どうもありがとうございました。




・・諏訪先生が今回の公演について書いておられます。
どうぞお読み下さい。















| - | 21:29 | - | - |
なりたちをみる
 
改修の計画にあたって、
天井も壁も構造材が一切見えないようになっているとき、
まずその内部がどうなっているのかを
把握することから始まります。

これがビルなら
内装のことだけ考えればいいのですが、
木造の場合、前の改修や内装工事で
不都合な柱を抜いたり壁を抜いたりしていることが往々にしてあり、
そのために構造的に弱くなっていることがあります。
できればそうした部分を新しい改修ではできるだけ補いたい・・。



実測の前に、解体作業に時間を費やすこともしばしば・・・。



梁がどうかかっていて、
柱がどこにあるのかを確かめるために
壁をめくります。天井にも穴をあけます。
最小限の解体で済ませようと思いながらも、
中が見えてくるともう少しここもめくってみよう、とか、ついつい。
ほこりと汗まみれでかなり体力も使うのですが・・・

しかし、そんな作業をしないと見えてこないものもあって・・



今回は天井の中からこんな吹き抜けを発見!やった!

・・・これを生かさない手はないですね。
予想外のうれしい贈り物!!

元が割合、
奥の方が閉塞された空間だったので、
風が抜けるようにして空間が息をできるようにすること、
自然光をとりこむこと、
が必要かと思っていたので、
これは有効に生かせそうです・・・。

前回の改修では柱を抜くために
補強の梁を多く設置していたこともわかりました。


こうしてもとの姿やなりたちが見えてくると
次にどうすればよいのか、という方針が見えてきます。

既存の特徴を活かしつつ、
機能的なことと
意匠的なことを満たしながら、
構造的な補強にもなるようにするにはどうすればよいか・・。

こうした作業の中から見えてくることが
沢山あります・・。


ここは
こすげ治療院の新しいスペースになるところ。

この場所でしようとおもっていることについて
こすげ先生やかおりさんの話を聞いていると
みんなが集まれる
とても楽しそうな場所になりそうです。

お楽しみに。




















| 『 ゆるり 』 | 16:21 | - | - |
あたらしき

 

上門前の家でむすぶ催し くらしのかたち展
無事に会期を終えることが出来ました。
どうもありがとうございました。


むすびて お むす ひ
なにごとか あたらしき


16日は言語造形の大阪公演です。 
水曜日に諏訪先生とリハーサルがあり、
乗り換えの駅は新今宮。


木、金曜日は
こすげ治療院の新しいスペースのための実測。
作業しているときに、
治療院の軒下に巣をつくっているつばめが
看板にとまっていました。




家では
くみの背が伸びたり(!)。


上門前での新しい計画について、話が始まったり。


今朝、岩出の家で炭埋が完了して、
そのあとでお米さんの田植えがあったり。



新しいなにごとか が
諸々の現象を伴って、
力強く動き出しているようです・・・。



今日の夕日、ただならぬ美しさでした。











| - | 20:06 | - | - |
くらしのかたち展 『水を汲むというもの』陶器 郡司庸久さん





上門前の家からのおしらせです。
上門前でむすぶ催し くらしのかたち展 
日時 2013.6.7~6.10
    open12:00 -18:00 
場所 上門前の家 森田建築設計事務所
   京都市北区紫野上門前町5 『地図』

くらしのかたち展は私たちの暮らしの中からうまれ、
また私たちの暮らしとなり、
こうしてめぐり逢うために…


郡司庸久さんのつくった 『水を汲むもの』
ピッチャーと呼んでも差し支えないのですが・・。

この大きさと動きのあるカタチ。
見た時の第一印象で受け止めているものが何かは
わからなくても、ここから感じるのは
内側からわきおこるよろこび。

残念ながら、会場ではできませんが、
ここに水を汲んだ時に、
これらの器が動き始めます・・・。

器の中で揺れる水面に、
カタチが呼応しています。
水面を反射した光が器の中で写り込むさまは
源泉の水が岩の淵をゆらゆらと照らすかのようです。

汲まれた水は
奥深い山の清流から汲み上げられた水のように
深々と澄んだ泉から湧き出た水のように
この器の中に汲まれた時に
日頃私たちが忘れているけれど、
記憶のどこか奥深くで知っている、水のいのちがあらわれてくるようです。
水をまた別の何かに注ぎ込むまで、
その印象は続いていきます。
『水を汲むもの』は
そうした水のたたえているもろもろまで
汲むものです。

日々のくらしのなかで
汲む水がいつも、
清冽な山の泉と同じ水であることを
ずっしりとしたこのうつわが、しっかりと感じさせてくれます。


このうつわをどんな風につくったのか
会場で郡司さんにたずねてみてください。
7,8日は会場にいます。きっと面白いことと思います。






















| - | 06:00 | - | - |
上門前でむすぶ催し くらしのかたち展 


 


上門前の家からのおしらせです。


上門前でむすぶ催し くらしのかたち展 

日時 2013.6.7~6.10
    open12:00 -18:00

場所 上門前の家 森田建築設計事務所
   京都市北区紫野上門前町5 『地図』



くらしのかたち展は私たちの暮らしの中からうまれ、
また私たちの暮らしとなり、
こうしてめぐり逢うために…




今回参加するみなさんはこちら

仕事する服 杉本幸代さん(⇒ ) 高田純子さん

草木染め 松本高志さん


家具 森田徹

食品その他 森田久美



是非みなさま くらしのかたち展 遊びにいらしてくださいね。
スタッフ一同お待ちしています。














| - | 10:36 | - | - |
イサムノグチ庭園美術館
 
臼杵さんの家の棟上げの帰り、
牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館を訪ねました。

イサムノグチさんのアトリエと住まい、
そしてそこに彼が生前つくった庭園を
パートナーであった石匠、和泉さんが
往時のままに維持されて、一般に公開されています。
そうなることは
イサムさん本人の遺志でもあったようです。

今のように美術館として一般に公開される前に
一度見せていただいたことがあります。
20代前半の頃で、勤めていた事務所の所長が
知人を介して見せてもらえることになり、
仕事のついでに連れて行ってくれたのでした。
ちょうど大規模な回顧展を見て感動した後で、
気持ちを高ぶらせながら、見たのを覚えています・・・。


それから20年以上経っての再訪。
今では美術館として整備され、
受付や待合の場所も設けられています。

屋島のほど近く、
背後に石切りの山を控え、
周囲には和泉石材の工場があって
今も石を加工する音が響いています。
周囲を大地の石に抱かれ、
切り出された石が姿を変えて再び生まれてくる、
特別な場所。

きれいに掃除がされ、
地面には帚の筋目がついていて、どこか神社のようです。
イサムさんの遺したものすべてがとても大切にされているのが
ひしひしと伝わってきます。
余計なものに煩わされず、
訪れた人が、作品と場所とに対峙することが出来るように
最大限の配慮がはらわれている、と感じました。




中は写真は撮れません。
ここは道沿いなので撮れました・・・。

ちょうど良い高さと広さで石の塀で囲われた広場、
移築された蔵と石の彫刻の響き合い、
周囲の自然、木や山との間に生みだされた調和。
石の中から見つけ出された大いなる可能性が
形を成して存在する様子・・。
ゆっくりと見て行くうち、
無意識が先に感じている何かを
意識があとから追って、認識しようとしていく・・・。


イサムさんは
『私は世界の平和の為に彫刻をつくる』
と言っていたそうです。

ここにある作品は、
それぞれの素材の石の秘めている可能性が引き出され、
私たちに対峙する時には
物質としての石であるという認識を超え、
もっと大きな何かを伝えてくる存在になっているかのようです。
また、場所に施された様々な行為も
その場所を、三次元的、即物的な意識の範疇を超えた部分で
そこを感知し、認識するように働きかけてくるような体験を
与えてくるように感じます。

つまり、
それらの可能性が最大限に引き出されて、
形として存在しているものに、
私たちはそこで出逢います。

そのことは、
私たち人間の出来ることの可能性を証しするものです。
そしてまた、見方を変えれば
『人間が、常に自分自身をこえて発展して行く可能性を持っていること』を
証してくれるものでもある、といえます。

それに気がついたとき、
私たち人間は
争いではなく、
本当に平和に満ちた世界をつくる可能性も
与えられている存在である、という
希望と、新たな認識、
そして、それを証しするものとしての彫刻に、
今対峙しているのだ、ということに想いが至るのです。


イサムノグチさんの作品には
そのような、彼の意志と希望が今も形となって
生き続けています。
それは常に私たちを鼓舞し続けてくれています。




これらの作品を残してくれたイサムノグチさんに
深い感謝を捧げます。
そしてこの庭園美術館を維持し、
その遺志を伝えてくれる美術館の方々へも
心より感謝します。


























| - | 09:52 | - | - |
棟上げ ( あやうたの家 7 )
 
臼杵さんの家はいよいよ、
この26日より、刻んだ材とともに
南会津から3名の大工さんたちが棟上げの為に現場入りしました。
臼杵さんと現地の大工さんたちも合わせて
総勢6名とクレーン車によって、作業が進んでいます。

29日が棟上げ。
私とスタッフ栗橋は車で現場に向います。
瀬戸大橋経由でおよそ3時間半の道のり。
道中雨模様だったり、梅雨の天候が心配されましたが
現場はどうでしょうか・・・。


私たちの心配をよそに、
現場では無事に棟が上がっていました。


棟の上で五色の布もたなびいています。


平屋部の方は垂木も配られていました。


何でも昨日頑張ったお陰で、
この日の午前中、満ち潮に向う時間に棟が上げられたそうです。
よかったよかった。
潮が満ちて行く時に棟を上げるのが、
この辺りでは習わしになっているのだそうです。
縁起が良いとのことですが、
大きな流れにそうならばその方が良いだろう、と得心します。


登り梁と丸太梁が組み合わされた2階建部分上部の小屋組み。
吹き抜けの上では
太鼓引きの丸太梁が十字に組まれています。


この家は見えるところにはなるべく金物を使わず、
伝統的な構法で込み栓やほぞを使って材同士を接合しています。
壁は貫を通し、竹小舞を編んで土壁をつけます。
基礎はコンクリートですから、
昔の家と全く同じ造りというわけではありません。


大きく面をとった栗の大黒柱。
梁は会津の松。
臼杵さんがこの栗の柱を最初に購入したので、
この家の架構の構想は、この柱から始まりました。



この栗の柱の
限られた長さを活かしつつ2階をつくるために
梁を重ねるように組んでいく架構が
生まれてきました。


柱は杉の赤み勝ち、かつ背割りなし、で揃えました。
2年間くらいの天然乾燥です。
今後、多少割れが出てくるかもしれませんが、
なかなか見応えがありますね。
赤みは木の心材部分で、腐りにくく、虫にも食われにくい。
昔の民家では山で木を伐採し、そこで数年寝かせて
木の表皮側の白太(辺材部分)を腐らせてから使うようなことも
行なわれていました。
そちらは生きて成長している部分なので、
養分があって虫もつきやすく、腐りやすかったのです。
栃木県側の八溝山系の杉で、
向こうでは桧よりも揃えやすかったのですが、
赤みで揃ったのはなかなか素晴らしいこと。

土台は会津の栗が使われています。
朝方降った雨に濡れてタンニンが滲み出して流れています。
これが防腐のはたらきをします。
水に強く、腐りにくい栗は昔は鉄道の枕木として使われていました。


棟上げの神事の準備がされていきます。


2階で大黒柱の前に祭壇が組まれ、
大工で上ん台の樹の酒井社長が祝詞を読み上げて行きます。
ここに上がってくるのは7人と決まっています。
酒井さんに棟梁で墨付けをした管家さん、施主の臼杵さん、
設計者の私、森田、田村大工さん、基礎を施工した吉田組の藤原さん、
そしてこの日の為に南会津から駆けつけてきてくれたオグラの渡部さん。
去年の暮れに雪の南会津に木を買いに行ったのを思い出します・・→ 


漆の木で作られた棟札。
祝詞の後、管家棟梁が金槌で四隅の通し柱にささる胴差しの上を
七五三と叩いて締めていきます。
周りの森の中を槌の響く音が心地よくこだまして、
木が組まれて家が立ち上がったこと、
そこに命が吹き込まれたことを実感しました。


神事を無事に終えて、
下でお疲れさまの宴。

臼杵さんに酒井社長、管家棟梁。
天候に恵まれたせいか、
皆さん日焼けしています。お疲れさまです。
これで安心して会津に帰れますね!
臼杵さんも結構『こきつかわれた(笑)』というくらいの
活躍ぶりだったようでなにより、お疲れさまです〜。


同じく会津からの大工さんに、
後ろの方は後を引き継ぐ現地の大工さんたちと
基礎を施工した吉田組の吉田社長。こちらは臼杵さんの後輩で、
田村大工さんが同級生という繋がり。
そんな風に家を造れるって何だかいいですね。


この日は夜にもう一度泊まった民宿に集まって
打ち上げの宴で皆で盛り上がり・・・
翌朝早朝4時には会津勢の酒井さんたちは車で出発して
帰路につきました。遠路はるばるご苦労様でした!!


翌朝、もう一度現場に入って打ち合せと確認を行ないます。


平屋部の玄関側正面。


朝日を浴びて立ち上がる姿。
この中が吹き抜けのある居間になります。

中から見ると正面の山に向う眺めが楽しめます。


大屋根の上で
屋根の仕舞について、後を引き継いだ田村大工さんと打ち合せ。


登り梁に母屋を直行して納め、
野地板を張った時に
屋根面が構面として固まるようにしています。


平屋部の方は普通に小屋を組んで
垂木を流しています。


平屋の屋根は腕木で出桁を持ち出して、
軒の出を多くとっています。
軒下をつたって歩いて行く場ができていきます。


出桁の様子。


大屋根の野地板を張り始めました。


軒の高さを抑えて大地にしっかりと根を張るように、
緩やかでおおらかに広がる印象を持ちながら、
高みへ向かってしっかりと伸び上ってゆく部分もあり、
それをしっかりと支えるように、
木同士ががっしりと組まれたこの家は、
私がこれまで数年、おつきあいさせてもらってきた中で
臼杵さんという人から
受けとっている印象そのものなのかもしれません・・・。




この家の周囲の環境は本当に恵まれた印象です。
木立の向こうに家が見えます。


もう少し引いて見ると・・・・


手前の小さな家も臼杵さんの土地にあって、
ここは簡素ですがとても素敵な造りなので、
中を少しきれいにすれば雰囲気のある場所になりそうです。
こちらも楽しみです。


タイトルにある
あやうたの家 と言うのはこの土地の名前か
そう呼んでいるのですが、
『歌を綾なす』ように、
臼杵さんを介して結ばれた、
遠くや近くの多くの人々のうたう歌が、
ここで合わさってひとつの歌の複合的な響きになっていくようで、
それが今、この家が出来上がって行く過程を
表しているようにも感じられます。


こちらは
3日間の棟上げの作業の様子、
全行程に立ち会い、手伝った臼杵さんの紹介にて


















| 『木を植える (あやうたの家)』 | 00:02 | - | - |
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