言語造形 諏訪耕志 音楽・演奏 森田徹
にお越しいただいた皆様、
どうもありがとうございました。
諏訪先生と私との一年近くに及んだ、
『高瀬舟』への取り組みは
これで一つの円環が閉じられることになるのですが、
描かれた円環は、
また新しい何処かへの入口として開かれているように
感じています・・・私の内の無意識がそう告げている・・・。
言語造形とのヴァイオリンでのコラボレーションは
今までにない新鮮な体験でした。
言語造形でことばを通して立ち上がってくるイメージを
受け取りながら、そこに沿うように、
またさらにふくらむように、音を付けていく。
川の流れや空気や光の様子、空をゆく鳥や川の中の魚、
人々の営みや街の様子、時代を覆う空気感、
舟の上の二人の心の動き、呼応する外的情景、船のきしみ、
波の音、風の音、鼓動、息遣い、緊張、弛緩、闇、光、生、死・・・・
森鴎外が記したものがたりには
豊穣なイメージが滔々と流れていました。
それをいかに感じていくか、
何を、どんなふうに感じられるか・・・
音はそこから導かれるように生まれていきました。
ことばを介することによって、
それらを見出していくという作業をしたために、
逆にまた、感じられるが、ことばにはなっていない部分が
沢山あることも見えてきました。
ことばとことばの連なりによってその間に生まれてくるもの
語られぬが余韻として感じられ見えてくるもの
そして、鴎外自身が、
文章を綴る意識の外(無意識)で感じていたであろう言外のなにか
それらに出逢ってゆくみちゆきはとても面白い体験でした。
ものがたりの中を深く深く、辿ってゆく、ある種の冒険のような。
そして、表現していく過程において、
意識がとらえて把握する前に、
無意識のうちに既にそれを表現していた、ということもしばしばあって、
表現 という行為の奥深さ、不思議さにも
あらためて気づかされました。
そしてそこには限界がないことも・・・・。
今回の作品を創作していく過程は
そのようにとても豊かで、驚きに満ちた、
至福の時間だったような気がします。
(・・・公演を終わってから、
その時間が終わったことに気が付いて、
少しさびしいような気持ちになりました。)
公演の際に、
そうした私たちが感じたことや見出したことが
声となり、音となって
聴いてくださった皆様の中に響いていたのであれば、
とてもうれしいことです。
そうして体験され、共有されることによって、
ものがたりのなかのいのちがまた、
わたしたちを生かし、ものがたりを生かす新たないのちを
生んでいくように思います。
皆様、どうもありがとうございました。
このコラボレーションを与えてくださった、諏訪先生、
どうもありがとうございました。
先生と、言語造形との出会いによって、
新たな扉が開かれたような気がします。
一年前、大阪での岩出演劇塾の公演に伺った時から、
既にこの日のことは始まっていたのかもしれません(
⇒)・・・。
又機会があれば新しい作品にも取り組んでみたいです。
事前から当日の会場の準備や受付など、
万全の状況で公演をできるように気を配り、手配してくれた
スタッフの西口、服部、栗橋 と 森田久美に、感謝します。
おかげさまで無事に終了しました。
ありがとうございました。
余談ながら・・
言語造形による語り聴かせ
参加した皆様の感想はなかなか面白かったです。
・言語造形による語り聴かせ の感想を
・和歌山で諏訪先生の言語造形演劇クラスに参加しています
後藤さんも 今回の言語造形による語り聴かせ の感想を
・森田久美も今回の言語造形による語り聴かせ の感想を