住まいを建てるために
購入を考えている土地を一度見てほしい、
という依頼があって、見に行きました。
古い寺院の門前のその土地は
三方を道路に囲まれて一部が欠けた矩形になっていますが、
広さは十分にあります。風の抜ける日当たりのよい場所です。
周囲はかつて城下の屋敷街だったらしく、
当時を偲ばせる古い屋敷が今もいくつか点在していますが、
ここ数十年で新しい建物と入れ替わってきて、
かつての面影は消え去りつつあります。
依頼主はこの門前にわずかに残る往時の風情を感じとって、
この土地に魅かれたのでしょうか。
ですが、今もそこで感じられる印象からは
それを受け継ぎながら、
ここに新しい環境を造るのに十分な
可能性と手がかりを感じさせてくれます。
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古い建築や街並という実体が消えていくと、
そこに身を置くことで感じられる印象や体験も失われていきます。
それは感覚の総体的なもので、
写真や映像などの視覚的な記録や情報では復元できないでしょう。
さらに、無意識下の印象もそこには含まれています。
体験したことは
人の内面にも働きかけていきます。
環境の中での体験を通して、内面ではこころが形成されていきます。
つまり、環境が人を育てる とも、ある面に於いては言えます。
同時に環境はそこに身を置いている瞬間瞬間、体験を通して
人の心の状態に大きく影響しています。
住んだり、使ったりしている部屋、家や街、地域自体が、
そのようにわたしたちの無意識に働きかけています。
無意識のうちに方向づけられたこころは
次の行為や考えを生み出すもとになりますから、
方向付けを生み出すものは何であれ、
大切に扱う必要があるでしょう。
好印象を感じる古い家や街並みの中には
古さから生まれる美しさのみならず、
私たちのこころへの働きかけに、
どこか自然で心地よいものがあるような気がします。
そこで喚起される行為や体験の中に、
例えば、慎みや周囲への配慮、繋がり、和み
といったものが生まれてくるような
配慮がそこに込められているように感じます。
それを私たちは好ましい風情として受け取っているのかもしれません。
しかし、
考えてみれば新しくつくるものにも
そのような配慮は込められるのではないでしょうか。
建築や街並みは、物理的に人の人生より長く存在できるものです。
そして、それが人の内面を育む
大きなはたらきの一翼を担うのであれば、
わたしたちがつくっていく建築や街には、
大きな、好ましい方向付けを込めていくことができるはずだと、
その街を歩いた印象を振り返りながら、考えていました。
今つくるものを受け取っていくのは、
つくっているわたしたちばかりでなく、
そのあとの世代にも受け継がれていく(はずの)ものです。