出張で横浜の方へ行きました。
よく晴れた朝、
今日は富士山に出逢えて、いい始まり!です。
何度見てもこの稜線、姿は美しい。
東京方面の出張はまずこれが楽しみですね。
同じような考えの人は多いようで、
新幹線はまずこちら側の席から予約が埋まっていきます。
打ち合せを終えて、昼食に
いい雰囲気で時間を重ねている佇まい。
そして、
オーナーシェフの正村さんの料理は相変わらず「きれいな味」でした。
お人柄なのでしょうか。
こういう中華ならもっと度々行きたいところですが、
京都からはちょっと遠いのが残念。
落ちついて食事をするのに、とてもよいお店です。
お店で実際に使っている調味料も販売されていますが
みなさまぜひお試しあれ。
出張の際には、
また行きますね!ありがとうございます。ごちそうさまでした!
食後、今まで時間がなくて寄れなかった
原三渓が移築した日本の古建築/名建築の数々。
もともとどういうロケーションに建っていたのかわかりませんが、
流れの際に建てたアプローチは面白いですね。
建物の持つ性格によく合っていると感じました。
こちらは斜面に添った上り坂のアプローチからの
この角度の姿が面白い演出になっています。
束や貫は栗材で上の柱とは別材でした。
桧皮葺の屋根は
樹木の中に溶け込んでいきます。
山を背に、水面に映る姿。
実物はやはり美しかったです。
縁先に余計な柱が出てこないように、
見えないところで軒桁を吊り上げているはね木が、
天秤にバランスして屋根を支えているさまが
桧皮葺屋根の柔らかな曲線とあいまって、
微かな動きを内包した軽やかな美しさを生み出しています。
その様子と木々や自然の中の風や水の動きは
波長がどこか共鳴しあうのでしょう。
日本の古建築の持っている美しさとその理由に、
このたっぷりとしたロケーションの中に配置された姿を見ていて
あらためて気づかされました。
きちんと配慮された移築であれば、
場合によっては元の場所にあるときよりも
その持っている美しさを発揮することもあるのかもしれません。
岐阜の方から来た大きな茅葺きの民家。
奥の方の深い木立の間に建っています。
これはまた先の軽やかさとは別種の存在感で佇んでいます。
内に深い闇を孕んだ、地生えの巨樹、小山のような巨魁。
大地と一続きのような印象です。
「山椒大夫」や「エボシ御前」が出てきそうな雰囲気。
大きく暗い小屋裏の中、
積年の煙に燻されて黒々と太いサス組の丸太や巨大な梁、
当時の生活道具などを見ながら歩いていると、
現在に比べると肉体を過酷なまでに使い、厳しい環境に耐えながら
生きていたであろう往事の人々の生活の様子が偲ばれます。
そこから開放された現代の人々は
同じエネルギーを何に使うべく与えられているのでしょう・・・。
人は何によって生きるのか
当時、そんな問いを持ち、
その答えを探すために集まった人たちが
ここには多くいたかもしれません。禅宗寺院の仏堂です。
高みへと向う思考が
屋根をむくらせ、その端を天へ引き上げたのか、
思考を高みへ向わせるべく、屋根がそのような形に造られたのか。
堂内の大屋根の下は吹き抜けです。
合理的機能的な説明ばかりでは納得出来ないような形と
力がまだそこにいくばくか漲っているのを感じました。
駆け足でしたが、
色々なことを感じ、考えたひとときでした。
三渓園、またあらためてゆっくり訪ねたいと思います。