CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< October 2011 >>
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
MOBILE
qrcode
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
11月の展覧会 北中幸司さんの作品について 
 





北中幸司 

『銅板スケッチ』展

− 花 草 木  生  写  −



北中さんは
年間を通して昼間の数時間、
屋外で植物と向きあって、スケッチすることで
これらの作品をつくっています。

現場でスケッチした線が
そのまま銅版画として
完成した作品になっていくこと。

ー具体的には
銅板の上に貼られた
トレーシングペーパーの上から鉛筆で線を描くことで
銅板の表面をコートしているグラントという層が
はがれていきます。
グラントのはがれた部分は
腐食液につけたときに銅が腐食されて、インクの入る凹みになります。
現場で描きながら、版の製作工程が半ば同時に進んでいくわけです。
この技法によって、スケッチの線が
そのまま版画として作品に仕上がることが可能になっています。


そのことによって
より直に、深く、感じられるものがここには息づいています。


目の前の花や草や木を見て、
手を動かしている時間。
静謐な中で、生命の流れを感じながら
様々な感動や発見や体験が連続する、
充実した、至福の交流のひとときなのだろうと想像します。

その行程を通して表れてくるもの。


スケッチという言葉は、
日本語では『写生』とも訳されます。
読み下せば、『 生 ヲ 写 ス 』。

原語にこの意味合いがあったのかどうかわかりませんが、
とてもいい翻訳であり、言葉だと思います。
そして、そこからは
北中さんの制作のありようや取り組みの姿勢までもが
伺えるような気がします。


現(うつし)世に 植物という形であらわれた命を
もう一度、
写(うつ)す ことによって、
目に見えない、初めの命の流れを
私たちは感じて、見ることが出来るようになります・・・。

北中さんは
そういう仕事をされているのだと思います。


   花 草 木  生  写 



作品を見ていると、
知らぬ間に呼吸が深く、
気持ちが静かになっていくような気がします。
我が家の棚に飾ってある作品は、
毎朝出会うたびに、
そのようにしてこちらの気持ちを新鮮にしてくれるようです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北中幸司 プロフィール


1969年 大阪生まれ
 
 京都教育大学特修美術科にて彫塑を学ぶ

1994年から2003年まで 彫刻工房『吉田アトリエ』にて
 レリーフ・彫刻などの仕事に携わる。

1998年 個展 『北中幸司 作品展』 ギャラリーマロニエ(京都)
    ― 建築をイメージした石膏による立体作品展

2000年 『Mio 写真奨励賞 2000』 特別賞
    ― 自作のテラコッタをモノクロ撮影した写真作品

2002年 『国際コイン・デザイン・コンペティション』 佳作入選
    ― コインのデザイン画、レリーフの原型

2003年 個展 『北中幸司 植物のスケッチ展』 ギャラリーテラ (京都)



2007年から銅版画の制作を始める。






11月の展覧会、
『北中幸司さん』『永塚結貴さん』の個展です。
会場では料理教室森田からの販売もあります。




| くらしのかたち展 | 09:08 | - | - |
大徳寺 孤篷庵 を見て
 
大徳寺塔頭の孤篷庵が久しぶりに公開されている。
10年ほど前に見に行ったきり、
普段公開されていないので、今回、楽しみに行く。

小堀遠州公の設計になる建物、庭でその最後の仕事。
現存しているものは火災で焼けたものを
図面に基づいて忠実に、松平不味公が再建したもの。

門の前には
朝から既に久しぶりの公開を楽しみに
駆けつけた人たちが並んでいた。


孤篷とは波の間に浮かぶ一艘の小船を意味するという。
建物を船に見立てて、庭や周囲の景観を水の上の景として
形作っていったそうだ。

波間に浮かぶ小船は水の上をたゆたい、動くもの。
アプローチから歩いていくうちに
ここを形作っているものから動きの感覚を感じてくる。
動きの切り替わる場所、目に付くところにあるのは
重力の上にどっしりと根を下ろして安定するのではなく、
そこから離れようとする意識から出てくる形、設え。

土塀に仕込まれた六角形。
大きく八角に面取りされた柱は固定せずに動こうとする。
庭の上を走る波模様、生垣の連なりを持ち上げる網笠門、
具体的なモチーフを借りながらも、
情景をつくることよりも、実は、動き、流れを感じさせる方に
作り手の意識があったように感じる。

本堂を廻りこんで奥に位置する
忘筌の間は数々の工夫が仕込まれている。
手前で感じた動きの感覚を、
ここでは船の見立てという具体的な形を通しながら、
波の上にいるということをもう一度感じさせるかのようだ。

室内に座っていると
最後にはその波の上に浮かんでいるという感覚、
そして、動きの中にあるという感覚だけが残ってくる。
遠州公は実はそのことを感じてもらいたかったのではないか・・・。

例えば、
遠州公の席からの眺めが一番よかった、という
庭の眺めのことがよく言われているが、
床の前に座って庭を左手に正面を向くと
薄暗がりの淡い光の中に波の襖絵があった。
波間の船の上、という設えを通して、
ここまでで無意識に感じている動きの感覚を、
具体的な事物から意識の中の動きに向けていく為の設えとしては
決して悪くないと思った。この場所の本来的な目的からすれば
庭の眺めだけから評価することもないように思う。
(この襖絵が創建当初からあったかどうかは不明なのだが・・・。)

そして、動きを感じた時には
もう部屋の造り、意匠や、様々な工夫、設えのことは
必要なくなり、忘れられている。
これらのものは、その形のためにつくられたものではなく、
それを感じさせるために生まれてきたもの。
荘子から得た忘筌(ぼうせん)という名前は
まさにこの場所そのものを表しているように思える。

そして遠州公が託したかったことはさらにその奥にあるような気がする。
人は普通、出来上がった形や物や事など、
何かの結果生まれてきた事物を本体だと思って、
判断し、現象を見、生きている。
しかし、実際のところは、
それが生まれてくる意図や意識、無意識、のような見えないもの、
別の言い方をすれば
個々の範疇を越えるような大きな生命の流れが本体であって
それが生きているということの本質。
出来上がった形や事はいのちの流れた後の
deadな抜け殻のようなもの、ともいえる。
(それが不要で大切でないという意味ではない。)
人は皆流れの中にあって、まさにそこを生きているのに、
結果の方に囚われて、
そのことを忘れたまま生きてしまうことが多い。
出来上がった形や結果に依拠して生きる方が
判断も楽にできるし、
思考の深度(純度)も必要なくなってくるから、
そちらに流されてしまいがちだ。

そんな世の中では
流れに目を向けてそこから判断し生きていることは
周囲と逆の姿勢で、話も合わないし大変だろう。
遠州公自身がそういう生き方をしていたのであれば、
まさに大海の中の小船のようでもあったと思われる。
波の向こうに幾つかの島や船はあるものの、
常は波間の一艘の小船。

その小船に乗って生きてきた自分のための最後の場所として
造った場所を通して、
人が命の流れの上、動きの中で生きていることを
表現しようとしたのではないだろうか。
出来上がった形や物を 忘れて、命の本質の上で生きようと。


いくつもの重ね合わせの意味を託して、
この場所が出来あがっているように感じる。


そしてそれは
今のこの時代にあって、とても大きなメッセージのようにも思える。
私たちが出来上がった形や結果を通して判断し、
またそれを寄せ集めて物をつくり、
事をなしてきた結果として
命の流れから大きくかけ離れた姿、
世界を形作ってしまったから。

もう一度、
忘筌、本質に戻って命の流れの上で生きているということを
思い出して、そこから生まれてくるものに
素直に向かい、
意志を持って生きようと思う。



帰り際、
門の前にかかる石橋が
重力に抗して上へ向かう動きを表すものとして
形作られていたことに気づいた。





| - | 09:21 | - | - |
『猪名川の民家』2
 



現場は天井下地が出来上がっています。



小屋裏になる部分の換気口を新設しました。



吹き抜けには薪ストーブを設置します。

既存部分に違和感なく続くように
吹き抜け周りの納まりを考えます。





| 『猪名川の民家』 | 21:40 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート 『シサムコウボウ』 2
 
今日は現場に古大谷石が搬入されています。



外部はファサードの下地が出来上がって形が見えてきました。



石を加工したパーツもあります。
下ごしらえをして現場で再加工しながら設置していきます。

古大谷石は益子から運ばれてきたもの。
表面が風化し、苔むしたものもあります。
遠くてなかなか行けないので
益子の高田君に頼んで選んでもらいました。どうもありがとう。



木で組まれたファサードの外側に石を積んでいきます。



コーナー部分。
ファサードは道からやってくる人を招き、
ようこそ、と迎え入れるはたらきをします。
このコーナーはそのはたらきを形にしたことで生まれてきた結び目。



内部は古材が大分組みあがりました。
奥では例の螺旋階段が立ち上がっています。



なかなか格好いいですね。古びた鋳物の質感。
試しに登ってみました(笑)。

現場は滞りなく進んでいます。
施工はゲットプロダクトさん。
久保社長が打ち合わせしながらさらさらと描くスケッチや
施工図がとてもうまくてわかりやすい!
ものづくりお好きなのが話しててわかります。

今週中には石も積みあがります。
仮囲いも外れるといよいよ出来上がりが見えてきます。


シサムコウボウ裏寺通り店、
グランドオープンは11/24です。










| 『シサムコウボウ 裏寺通り店』 | 22:41 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート 『シサムコウボウ』 1
 
フェアトレードのお店としてよく知られたシサムコウボウさん。
京大の側のお店が開店した当時、とても新鮮な印象でした。

フェアトレードという言葉もまだもの珍しかった感じでしたし、
アジア各国の手仕事のものなどがいろいろあって面白い。
それを買うことが、ダイレクトにそれをつくった人たちの役に立つ、というのが
買い物という行為の印象を新たにしてくれました。

それから数年。
お店も数箇所に増えて、すっかり根付いてきた感じ。
それらのお店も自分達で造ってこられていて、
手作り感と愛情のこもった仕上がりで素敵でしたが、
新しい試みとして、外の人たちと店造りをしてみようということで
設計を依頼してこられました。
一緒に、シサムさんの活動の可能性を
新しく形に出来たらうれしいことです。


今回の新しいお店、場所は裏寺町。
かなりの街中ですね。



解体前の状況。
鉄骨ビルの1階です。もともとは倉庫だったので中の空間は大きい。
周囲は繁華街とお寺の混在する地域。

街中でもここがほっと出来るような場所でありたい、というのがお店の希望。
木も植えたいし、小さなガーデンがあれば、と。
確かに気持ちいいでしょうね。
人ごみを抜けてきたときには、なおさらでしょう。


店造りに利用してほしいということで
独自にストックされている古材などを見に行きました。



なかなかの量ですね〜。
今までの店作りでもこの中から利用されていたのですね。
捨てられるようなものでも手を入れなおせば、
再び使えるものも、新たに生まれ変わるものもあります。




これはインドで仕入れた鉄の鋳物の階段だそうです。
なかなかいい雰囲気ですね。



これもまたなかなか、いい感じですね。
インドの柵なんですが、何を囲ってたのでしょう。
塗料の古び具合がいいですね。


ここでは足りない部分の古材を
滋賀の島村さんのところに探しに行きました。


そういう準備を進めつつ、
いよいよ工事が始まりました。



搬入された古材が早くも立ち並んでいます。
どんどん形になっていくでしょう。


11月末にはオープンします。

お楽しみに。













| 『シサムコウボウ 裏寺通り店』 | 10:17 | - | - |
『猪名川の民家』 1

猪名川で古民家を購入されて、
週末の田舎暮らしを楽しんでおられた方から、
使っていなかった2階を直して使えるようにしたいとの相談がありました。

 

なかなか立派な家です。

道に面してはいますが、
それでものどかな里の中に位置していて、周囲は畑と山でいい環境です。
大きな木が沢山あります。



格子越しの庭。
そのまま山へと続いていきます。
鳥の声と木の葉ずれの音。


虫籠窓のある2階へ上ると



・・・面白い空間ですね。
元の形から手は入れられてはいるのですが、
どう使うか決まっていなかったために
部屋として仕上がっていないのもあって、
まだ当初持っていたであろう雰囲気を感じさせます。

軒の高さが低く、
2階はもともと居室として造られてはいませんが、
こういう場所に来るとなんだか妙にわくわくするものです。しませんか(笑)?
童心に帰るような・・・隠れ家的な場所みたいに感じるのでしょうか。



低い位置から入る光もきれいです。

立って歩けば端の方では頭も打つような低さです。
しかしこの印象を残しながら、
うまく直せば落ち着いた気持ちよい場所になりそうです。
寝室と書斎にはうってつけかもしれません。


設計がまとまり、ようやく今月から工事が始まりました。



垂木の間に断熱材を入れています。
夏場の暑さを少しでも解消したい。



既存の床を抜いています。



軒の低さを活かして使えるようにするため、
2階の床から1階の天井までの懐を利用して
掘りコタツ式に床を造っているところ。
床に腰掛けさえすれば、この低さもそれほど気にならないでしょう。

かえって天井が低い方が
書斎での仕事や読書、思索に集中するには
気が散らないのではないでしょうか。
・・立ち上がるときには注意が必要ですが・・。




この家にあった古建具。
寸法を変えて再利用します。

変更する寸法も建具の意匠から決まってくるので、
周りの造作もそれに合わせて寸法を調整します。


施工は近くのあかい工房さん。
よろしくお願いいたします。





| 『猪名川の民家』 | 11:23 | - | - |
展覧会のお知らせ
 


11月の展覧会のお知らせです。

北中幸司さんの『銅版スケッチ』展
ー花 草 木 ノ 生 ヲ 写 スー

11月3日4日5日6日 の四日間。

場所 森田建築設計事務所 上門前の家にて

12:00から17:00まで


夏に上門前の家の庭で描いていただいたベル鉄線 も並んでいます。
北中さんの繊細な美しい銅版画のもたらす静謐なひとときを
味わいにいらしてください。


今回、北山大宮の旧Neji アトリエで同時開催、






永塚結貴さん 磁器展
ーヒカリヲクムトイウコトー

11月3日4日5日6日 の四日間。

場所 北山大宮 旧アトリエnejiにて

12:00から17:00まで


以前、永塚さんとランプシェードをコラボレーションしたことがあります
光を透かすさまがとても美しい。
光を汲む、というのはぴったりですね。


どちらも会場にて 料理教室森田 森田の瓶詰め、手前味噌など販売ございます。

また 旧Nejiは北山通りに面していますが、自転車の数が置けませんので
公共の乗り物にてお越し下さい。

上門前の家は住宅街で周囲に駐車できませんので、
こちらも自転車でのお越しはご遠慮ください。


11月の展覧会は盛りだくさんです。
美しい季節、京都を散策がてら、どうぞお越しください。


| くらしのかたち展 | 03:17 | - | - |
古材
 
久しぶりに滋賀の島村さんのところへ古材を見にやってきました。

秋の日、霞む広い湖面の静かな光の中、
中空に浮かぶかのように立ち上がる白鬚神社の大鳥居を眺めながら
湖西を北へ向かいます。
対岸の山々と空と水面が薄青色の一繋がりの
この景色は何度見ても美しい・・・。


島村さんのところへ行くと
面白そうな材をいくつか選んで待っていてくれました。

長年のお付き合いで大体、
望んでいる感じをわかってもらえているのが有り難いところ。
今回もまた雰囲気のある材が並んでいます。



どこにどんな風に使うのがよいか、
ここからまた材と対話していく時間があります。
これが又毎回の楽しみでもあります。



目だけでなく、手も使っての対話。
機械製材では生まれないような仕事のあとや
経年変化の生み出す表情は、
ほどよい位置に使えば、その魅力が生きて見えてきます。
一方でそこを生かすためには落とさなければならない場所の
見極めも必要になります。



それには知識や経験に加えて
多分にその人のセンスも必要でしょう。
もう少し言えば想像力、創造力でしょうか。


古材がブームになってから、
とりあえず、古材を使えば雰囲気出るだろう、
という、ある意味、安易な使い方をする人も増えているようです。

合わない場所に使ったり、
不適切な使い方をすれば、
古材が魅力を見せてくれるどころか
問題が発生するようなこともありえるわけで、
それは古材に限ったことではないでしょう。

何か世間でいいといっているものを持ってくれば
いいものが出来上がる、という発想は誤りの始まりです。
そういうものを寄せ集めても、
いいものは残念ながら出来上がりません。

何を持ってきてつくるにしても、
調和していなければ
美しくはなりません。いいものにもなりません。




そして、
どう調和させるのか、
答えはひとつではありません。
そう思います。

一つ一つの古材が違う表情と個性を持っているように、
それをどう生かせるかは、
そこから何を感じ、汲み取れるか、
・・・から始まると思います。


だから、毎回楽しいのでしょう!ね。



・・島村さんのところでは、
古材や古建具などを沢山見られるスペース
『古良慕(コラボ)』をオープンされました。
長年、古民家に携わってこられただけのことはあるな〜、という量と質です。
見ているだけでも面白い。
竹林の見えるオープンなカフェスペースもあるので、一度たずねてみてください。



| - | 20:47 | - | - |
さくら

季節はずれの桜が
(いくつも!)咲いているのを賀茂川で見たとか、
数日前にそんな話を聞きましたが、
桜といえば、最近、こんなことも聞きました。 


「いくら世界の大建築家の設計でも
小学校に桜が一本も植わってへんのはあかへんわ!」

と、その小学校に通う児童が言ったとか。

確かに、入学、卒業の時には、
満開の桜とか舞い散る桜に迎えられ、見送られたいものです。
あまりに当たり前の光景になっているので、
それがない光景も思い浮かばないほど・・。

ある世界的建築家の設計した神戸市の小学校の話です。

実物の建築を見ていないので、
その出来不出来をあれこれ言うことはできないのですが、
コンクリート打ち放しを使わず、
鉄骨に木質系の仕上げという、
子供達に配慮した設計になっているようなので、
どうしてそんなことになったのかな?と。

敷地内にはもともとの地域の木である
どんぐりだけをたくさん植えているそうです。
友達とどんぐり拾った思い出が
大人になったときに懐かしく思い出されるかもしれませんが・・。
桜がない学校はどうも座りがよくない気がしますね。
気持ちを託す大切な何かが欠けているような・・・。

何でそう思うのか、
言葉にしてすっきりとしたいな、と思っていたら、
見つけました。
何気なくめくったサライの書評コーナーで、
白川正芳さんが紹介していた
「高校生が読んでいる『武士道』」 大森恵子さんの著書の一節。
新渡戸稲造先生の『武士道』のわかりやすい抄訳と解説の本です。
孫引き(いや、ひ孫引き?か)になりますが。


「本居宣長(江戸時代中期の国学者、歌人)が、

敷島の大和心の人問はば
(神聖な日本の島々よ!あなたの国の大和心を人が探ろうとするならば)

朝日に匂ふ山桜花
(朝の光に満ちた大気に香り咲いている、山の素朴で美しい桜花と答えよう)

とうたった時、彼は、

わが国民が心の中でうたっている無言の言葉を表現したのである。

桜は古来、私たち日本人が最も愛している花であり、

我が国民性の表象である。」



・・いや、そうだったそうだった、
大切なこと忘れててすみません、という感じ。

日本の学校には桜があってほしいですね。








| - | 16:03 | - | - |
お米さん 収穫祭
 
今年たわわに実ったお米さん、
みんなで田植えし、
稲刈りし、
山田さんが一年見守り育ててくださった
お米さんの収穫祭。

余りにも多くのことがあった今年ですが、
このようにかわらず穂を実らせてくれたことに
心が救われます。


そして、
4年でこのように皆さんと
一緒に収穫を祝う機会を持つことが出来るまでになったこと、
とても感慨深く、うれしいものです。


ありがとうございます。


来年もまた皆さんと一緒に
お米さんと関って、
いのちのねっこをつなぎます。

どうぞよろしくお願いいたします。


歳の終わりはそのわらのしめ縄で
締めくくります。




| - | 15:41 | - | - |
| 1/1PAGES |