祝日、私たちがオイリュトミーを指導していただいている
鈴木智子先生のオイリュトミー公演を
上門前の家で行いました。
お越しいただいた皆さんありがとうございました。
オイリュトミーは
音、言葉を身体の動きを通して空間の中に
目に見えるように形作っていくものです。
成立する基盤と過程が舞踏やダンスといった表現形式とは違っています。
ですので、
自身で体験する、または今回のように公演を見るにせよ、
今まで使ったことのない、もしくは意識したことのない感覚を
(知らず知らずのうちにでも)使わざるを得ない部分があるようです。
そこが面白い。・・・何が目覚めるんでしょう。
そして出来上がる運動表現もとても美しいものです・・。
(私たちはまだまだまだ・・・ですが)
この日は皆さんに鈴木先生のオイリュトミーを
十分に味わっていただくことが出来たのではないでしょうか。
音や言葉が身体の動きによって力強く美しく造形され、
又消えていくさまにただただ見入る。
金折享子さんの言語造形も力があって素晴しかったですね。
目の前に葡萄が現れたり、湿地が広がったり・・。
お二人のコラボレーションは
まるで見たことのない立体映像を見ているような体験でした。
私はバイオリン(とガムラン)演奏で参加させていただきました。
ただの自己表現にならないように、
音楽、その曲そのものがもっている本質的な響きが演奏を通して表れるように、
それがオイリュトミーと共鳴しあうように、
と思いつつ願いつつ演奏していたのですが、
実際どうだったか、はわかりません・・・。
バイオリンが気持ちよく音を出せるように弾けていたかどうか・・・。
それでも鈴木先生のオイリュトミーと
一緒に演奏することはとても新鮮で素晴しい経験でした。
動きが意味するものを全て知っているわけではありませんが、
確かにその動きが
奏でている音を体験している感じがありました。
鳴っていない音と合奏するのはそれはとっても新鮮な体験です(笑)。
まだまだ不慣れな部分はありますが。
ですが、可能性としてオイリュトミーとの
例えば別旋律による二重奏も十分ありえるなと思います。
実際に鳴っている音の動きが生み出している、
聴こえていない音の響きが存在しているので、
それをオイリュトミーが表現するようなことは見ていても体験として、
二重奏として感じられるだろうな、と想像しています。
今の段階でもそれは十分有り得るような気がします。
多くの人にとっては
未知の表現方法であるオイリュトミーを通して、
既知の音や言葉を表現して、
違和感なく、説得力を持って、
さらにその中に潜んでいる可能性を広げて見せてくれるような
表現をする、というのは、
きっとオイリュトミーへの深い理解と献身がなければ
成し得ないことだと思います。
私たち、スタッフ一同は上門前の家でこの公演を行えたことを
とても喜ばしく、光栄に思っています。
そして、皆さんにとって、新しい体験の機会になったら
それもまたとても素晴しいことです。
何より、美しいものに出会うことはいつでも喜びです。
又来年、そのような機会が持てることになりそうです。
今から楽しみなことです。
ありがとうございました。