京都国立近代美術館で
この20日まで開催されている
『麻生三郎 展』を見に行った。
仕事はあるけれど、今日しか時間がない・・・
出たついでに思い切って向かう。
もしあなたに20日までに少しでも時間があれば、
是非行ってみてください。
印刷物ではなく、
実物からでないと感じられないものがあります。
僕はこの展覧会に行けて、本当によかった!
麻生三郎さんについて
説明できるほど詳しくは知らないので、
以下展覧会をみて感じたまま、書いておきます。
間違っていたら、ごめんなさい・・。
この展覧会ではその画業の始まりから
その最後に到達したところまで、
年代順によくまとまった構成になっています。
彼の感じたものを追体験できるようです。
戦前、才能と感性を感じさせる油絵の作品を手がけていた
麻生青年はヨーロッパに行き、写実に目覚めます。
同時に文化や歴史、生活・・美術の背景にある様々な違いに直面したと思います。
憧れていたものに触れている溢れる喜びと、
未知の違和感から生まれる不安のようなものが
当時の作品(例えばノートルダムの素描)の中で相半ばして
震えているのを感じます。
自分の制作が何に拠って立つのかを探るための行為が
写実だったのではないか・・。
帰国し、戦争という暗い時代状況の中での
身近な存在の写実を通した表現の根拠の探求。
戦争により周囲が破壊され、生命の危険を感じる状況下で、
街や文化といった、人の存在を規定している様々なものが
破壊されていくのを日々眼にしながら、
その探求は、人を人として存在させているのものが何なのか、
という方向に向かっていったように感じられます。
どんなに暗くて辛い状況があっても
外側にある様々なものが失われたとしても
人が生きている限り、存在し続ける、人を人たらしめる何か。
このころ妻子を描いた『母子』から感じるそれは
暗闇の中の一筋の光のようです・・・。
彼の絵の画面がどんなに暗くてもその根底には
この光に通ずるものが透けてあるので、
暗い印象の中に堕ちていきません。
周囲や状況、眼に見えるものが暗く悲惨なものであっても、
そしてそれが物や肉体である限り、
傷つき、壊れ、腐敗していくことは免れ得ない宿命ではあるけれど
それらを存在させているものが、
違ったもの、光として存在しているからこそ、
暗闇のような中でも生きていくことが出来る・・・。
そのことを粘り強く捉えて表現しようとする彼は
とても真摯で誠実でそして、強い探求者です。
戦後の彼はなおもその探求を続けていきます。
50年代の作品は当時の社会状況の中で、
街や社会の変化の中で感じる眼に見えぬ圧迫を
表現しようとしていたそうです。
そして対象が身近な存在から広がってゆきます。
この頃の作品には様々なシーンが画面の中に塗りこめられています。
よく見ていると、そこには街や人や様々なものが
複層的な視点から描きこまれています。
複雑な響きの不協和音のような、旋律のようなもので
思いもかけないようなものが次々に見えてくるので
なかなか画面から離れることが出来ません・・・。
眼が慣れてくるまで根気強く見ていて下さい。
子供の頃、染みや汚れの中に
色々なものを見つけたときのような感覚です・・。
個としての人が存在するためには
社会や場所や血の繋がり人の繋がりなくしては
眼に見える存在たり得ない。
人の輪郭はそうした様々な繋がりの織り成す中から
生まれてくる複層的なもので、
流動的で柔らかい変化し続けるような姿・・。
繋いできていただいた先にある自分・・・。
ここではそんなことが表現されているのではないでしょうか。
そして又、
個を超えた普遍的な部分が、顕わにされているので、
鑑賞者の個を超えた
内面奥深くへ揺さぶりをかけてきます。
集合無意識へはたらきかけるかのような画面の前で、
私達は個人としては体験しなかった過去を
この画面に描かれた時代から順に、
次第に記憶から蘇らせていく・・・。
60年代にもなおその方向性は続きます。
具象的な姿はもっと解体されていきますが、
そこから見えてくるシーンはより豊かでかつ具体的です。
複眼からなる一つの空間体験のようなものさえ感じます。
見ていて身体が揺らいでくるようです。
一つの画面の中で重なりながら視点を変えると浮かび上がってくる
様々なシーンは物語性も帯びていて、
どこか絵巻物や神話、説話集を見ているような感覚も覚えました。
ここでの体験はとても強い、
絵画鑑賞というものを超えて、何かを体感するもののようでした。
このころの作家の自画像は複眼になっています。
見えるものを見、そこから見えないものを見て
表現していた姿はまさにそうだったと思います。
70年代以降、後期の作品は
エネルギーの動きそのものを感じるような画面でした。
これは見ていると、ただもう身体が動いてくる・・・。
強い圧を画面から感じます。そしてこちらを動かそうとしてくるようです・・。
僕はこのあたりの作品を見ながら、
何故か
田中泯さんを思い出していました・・・。
彼なら何を感じて動くだろうか・・・
麻生さんの作品とコラボレーションする姿を見てみたいものだと
勝手な夢想をしていました。
最後に彼が到達した地点は
ちょっとこちらのキャパシティを超えていたかもしれません・・・。
最後の部屋で、
もはや空間であり動きそのものである作品群に身を委ねながら、
最初に入ったヨーロッパ滞在時の
彼の作品を隣の部屋に垣間見つつ、
多分、彼自身も想像もしなかったところまで辿り着いたのだろうと、
その偉大な達成に感じ入りました。
絵画でここまでのことが成し得られるのだということへの感動。
そして世界の未知の認識を提示するということも
画家という存在の大きな役割のひとつであったということも
思い出させられました・・・。
そういえば、
僕の好きな作家の芹沢 光治良さんの装丁もされていたそうですが、
なるほど、納得します。
長くなってしまいましたが・・・
それほどの強度のある作品でした。
久しぶりに感動する展覧会に出会いました。
何か沢山のものがこちらの内面に流れ込んできたような・・・
そんな体験でした。
まだの方は是非、体験してみてください。
画集からは感じられないものです。
作品を残してくれた麻生三郎さんと
この展覧会を企画運営してくれた美術館の皆さんと
展覧会のチケットを是非にと買っておいてくれた久美さんに
感謝合掌。