今日は一日、
櫛谷建築の櫛谷さんと宮川造園の宮川完君と一緒に
二つの離宮を見て歩く。
今一緒に取り組んでいるプロジェクトの参考のために、
最高のものを見に行こう、という趣旨。
午前中に桂離宮に行く。
惜しげもなく溢れ出て満ち満ちた
創造力と想像力の豊穣さに感動する。
そしてそれを実現するための労力も惜しみなく注がれたに違いない。
ものづくりとしては、何だか鼓舞されるものがあった。
勇気付けられる感じ。
説明してくれる宮内庁のおじさんがまた桂への愛情に満ち満ちていて
一行にとても幅広く深くまたわかりやすく魅力を説いてくれる。
素晴しい!
午後から修学院離宮を訪ねる。
西に傾いた日差しが庭へ差し込んでちょうどよい頃合になった。
桂とまた違って、周囲遠近の山々、地形と一体になりながら
別世界を創り上げる雄大で広壮な構想。
本当に最高だった・・。
どちらも個々の建物も庭の部分もとても注意深く美しく造られながらも、
おのおのだけで突出して主張しようとはしていない。
周囲との関りの中で存在し、他を活かしつつ、己も活かされて
役割を果たすように設えられていて、
結果として、より大きな全体への繋がりや広がりの印象を生み出している。
周囲の棚田と山並みの中の御馬車道を歩きながら、
京都、そして大きく言えば日本は
これらの離宮が存在していることで安心していられるんだな、
と納得した。
ここには最高に美しく純化された日本の原風景と美意識が
存在するからだ。
これを見て美しいと思えるこころがある限り、
ここに含まれている様々な意識や考えなどを
日本人はいつでも新たに再編成して何かを生み出すことが出来る。
そこには国造りに繋がるようなものも普遍的なものも豊かに含まれている。
そういうものが存在していることを
日本の人は体験しておくべきだと思った。
写真や言葉では伝わらないからだ。
どちらも体験して体感するしかない。
そして僕はそこからはじまるものづくりをしようと
今日の一日のうちに内面深くで決心したような気がする。
不思議なことにどちらの離宮もほぼ同時代、
徳川時代の初期に出来上がっている。
何だか当時の天皇家が後世への贈り物として遺したように思える。
そのように天の采配があったということかな・・・。
一緒に行った三者三様に様々感じながら、
プロジェクトに向けて熱い想いが盛り上がった。