今日は朝から敷地境界の立ち会いに出かける。
お施主様と隣地の所有者と境界明示の為の測量事務所、
不動産会社の方数名など。
かなり古い場所なので曖昧。
かつ国有地も挟まっていたり、間を道が通っていたりしてややこしい。
しかしまあ穏やかで友好的な雰囲気の内に終えられて何より。
この辺りは観光客もよく訪れる界隈でもあり、
私有地ではあるが、
お施主様は道沿いのこの辺りを花や山野草でも植えて
通る人に気持ちのよい場所として
開放しようという構想をお持ちでいる。
笑いながら『花の名所になったら面白いな!』と話されるノリが気持ちいい。
さわやかな気分になる。
長い目で見れば、ここがそうなれば
みんなから大切にされる場所になるだろう・・。
一私有地という範疇を越えて
みんなの財産になるとも言える。
帰って来て、
あまりにいい天気なので
思い立ってリラを洗う。久しぶりだし気持ち良さそう。
ゴールデンレトリーバーは毛が長いので、洗った後なかなか乾かない。
一緒にしばらく日向ぼっこをしつつ、毛を乾かす。
吹く風にひらひらと舞い上がる金色の毛を眺めるうちに、
リラが生きていることで
物質がリラの肉体として組織され、
新しい毛も生えてくるんだ,とふと思う。
『生命が 物質を 肉体としてオーガナイズしている』 ということ。
毛と同じように、
全身で細胞が更新されて
肉体が維持されていると言う事実を見れば、
肉体は自分の所有するものとは言えないな、と思う。
一時預かって肉体として使わせてもらっている、
という方が起こっている事実に近いような気がする・・・。
NEJIでの『パンの日』に顔をだしてから、
たまの休みの日なので、
気分転換に
読みかけの本を持ってカフェに行く。
そこで保田 與重郎氏の『日本に祈る』の中の
『にひなめ と としごひ』を読んでいると、
「ことよさし」という考えに立つ、古代の日本には
生産物についても土地についても
所有権という思想が無かったという一節に出逢う。
そして又近代以降の支配的な現実思想が、
専ら個人の所有権を中心に展開している、という一節にも。
『個人の所有権』 という設定に基づいて
ものごとを認識し、
生活や社会が編成されるようになったために、
見えなくなったり把握出来なくなった事実も沢山あるだろう。
(勿論逆のこともあるのだろうけど。)
例えば、環境問題の発生する萌芽もそこに含まれていたとも
言えなくもないし、
自分の身体を自分の所有物と認識する見方も
そこから生まれてくる。
そこで起こって来た様々な問題を解決する為には
所有ということの認識をリセットする必要があるのではないか、
そういう時期ーそれもかなり切羽詰まったーに
実は僕たちは立っているのではないかと、思う。
そのような認識に基づいた生き方の
前例がない訳ではない、ということを
この本は教えてくれる。
そしてそれが日本人にはそれほど馴染みの薄いものではない、
ということも。