今日はお施主さんと施工の
木村工務店の社長さんと一緒に
今回使う予定の古材を確認してもらいに
島村葭商店に来ました。
まずは実際に古民家を移築した島村さんの事務所などを見てもらって
古材を実際に使った様子や雰囲気を感じてもらいます。
200年以上経った古民家を移築したもので、その前にも
別のところから移築されて使われていたものです。
お施主さんはまず昔住んでいた家のことを思い出していました。
実際住んでいた家と造りは違っても、
古民家の和室や造作を形づくる古材からは、
心の中の家の思い出と共鳴する何かが発しているようです。
そして、意識で感じている郷愁の奥では、
現代の生活で失われた落ち着きや安らぎに繋がる何かを
無意識の中で感じているのかもしれません。
こういう家に住んだことのない世代や地域の人達はどう感じるのか、
興味が出てきます。
ベルギーの富豪がゲストハウスとして島村さんのところに
古民家を求めてやってきて向こうに移築したり、
ハワイに移築したり、日本の古民家を求める人は
日本人に限ったことではないようです。
彼らには昔の日本の家に住んだ原体験や記憶はないのですが、
そこから感じる何かに魅かれて求めてくるのでしょう。
その再生の様子はどこか大造りではありますが、
大胆で、かえって約束事にしばられない分、
その魅力を引き出すことに成功しているようにも見えます。
無意識で感じている部分に素直に反応しているからでしょうか。
このような『古民家・古材から感じるもの』は
世界共通のもの、と言えるのかもしれません。
若い世代の人でもマンションのリフォームに
古材を買いにくる人もいるそうです。
『ジャンク』と言われる様なものから繋がる何かがあるのもわかります。
店舗や内装の分野でも古材は使われることが多くなって来ています。
木村社長は島村さんの古民家にものづくり魂を刺激されたようで、
島村さんのお父さんと和室の造りや材について楽しそうに話しています。
もう20年以上も前から、
古材の再利用や古民家の移築を手がけて来た方ですから、経験も豊富です。
古材の扱いもそれだけの時間と経験の上につくりあげて来たもの。
材をどう活かして使うか、ということに
手間や時間を惜しまない先人達の文化があったから、
つくられたものが残され受け継がれて、
今こうして古材を使うことが出来る。
そしてその姿勢や智慧を学んで継承する、
その実践の一つとして、古材を使うということがある、
ということを、私もここで様々に教えられました。
まだまだ学ぶことは沢山あります。
古材から私たちが感じる魅力には
そうして大切につくられ、つかわれてくる過程で受けて来た愛情
もあるのかもしれません。
『もったいない』が日常の規範だった頃の、
ひととものの関係の精神的な基盤には
そうした愛情があって、 もの と ひと を取り結んでいたのでしょう。
おそらくそうしたことも、
外国の人にも訴えかけるような古材の魅力の普遍性の一部になっているように
思います。
・・それもまた、現代見失われたもので、
古材の中にそれを再発見出来るのは幸せなことでもありますが、
現代つくられたものの中にそれを見いだせないならば悲しいことで、
現代のものづくりの一人としてはあらためたいことと思います・・。
古材を再利用するには
その精神の上にのった心構えと行為が必要な訳で、
具体的にはまず材を釘抜きや磨きなどで再び使えるところまで
手をかけることが必要です。
島村さんのところでは
その作業が愛情を持って行われているのがよく分ります。
そうして材をどこにどのように使うか、という見立てがあって、
その材が活きるように使う場所を決めていく訳で、その間には
古材と向き合っての対話があります。
作業場に材を広げてあちこち眺めつつ、ここの人達と話しながら
材を選んでいくのは、毎回時間はかかりますが、
実はとても楽しいものです。
毎回、どんな古材に出会えるか、ということも楽しみです。
今回は相応しい材に沢山出会えたような気がします。
結果的には最初の想定より古材の量は増えましたが・・。
選んだ古材をまた加工して、現場に施工していくのも
大変な手間であり、同じ様な気持ちがないと出来ません。
木村工務店のものづくり魂は
これまでもそれに十分答えてくれるものでした。
そういう作り手と一緒でないと、又なかなか使えるものでもありません。
古材や古民家にまつわる様々な事柄や受け継がれて来た想いが、
この日、お施主さんや工務店に有言無言のうちに手渡されました。
ここまで足を運んで頂いたことではじめて伝わるものがあります。
来月の頭には木村工務店の加工場に入って、
加工が始まります。