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2009年 大晦日
 


今年一年、
本当に沢山の沢山の沢山のことがあった。
年末の数日、風邪を引いたのは
最後の清算のようなものだろうか。
今朝,今宮神社へ年の締めくくりのお参りに行った。
今年一年間、どうもありがとうございました。

振り返れば
喜び笑い嬉しいことも沢山、
辛さ苦しさ悲しみ怒り歎きも沢山、
一年、餅つきされていたような
粒も個もなくなって合わさって一つになったような
新たなまんまるが生まれたような
何事かの終わりて始まりかのような
そんな一年。
おかげさまで何とか年の瀬を迎えられたのも
周りで支えてくれて助けてくれた
みなみなみなさまのおかげさまと
感謝感謝感謝致します。

枚方のお父さんとお母さんから頂いた
手作りの門松を飾り、
お母さんの指導を受けて
自分たちでつくった注連縄を飾り、
みんなでついた餅で作った鏡餅でお飾りをして、
安心の気持ちで新年を迎える準備の整ったこと。

又、諸々を手助けしてくれる人達が
側にいてくれる有り難さに感じ入りながら。

大晦日が過ぎつつあります。


どうも有難うございました。
良いお年を。


























| - | 15:32 | - | - |

友人の画家 木坂宏次朗が届けてくれたクリスマスと新年の版画。
いわゆる現代アートや時流と関係なく、
自らの信じる絵を黙々と描き続けている人。
創作に対する姿勢も作品も
現代、希有になった純粋な光を照射していて、
見ていると魂が救われる様な想いがする。
版画は彼にとっては余技(のはず)だけど、
数年続けてきて彼らしい光りを放ち始めたように感じる。


社会にあって僕らよりずっと年配の人達、
大人としてそれより若い年代の見本になるべき人達、
全てではないが、
そういう年代の人達が
他人の言葉を受け入れない、
自分の権利と正当性だけを主張する、
声高に相手を威嚇するかのような物言いをして
物事に処するのに接する時、
いいようのない哀しさを覚える。
勝つことが全てならば、
全ての敵をなぎ倒した時には
あなたの周りには誰が残っているのだろう・・。
僕の父くらいの白髪の男性。

世間一般、
どこかそういう姿勢をよしとする風潮があるようだ。
というよりは、そういう幻影を信じ込んで
相手もそうだと思って
その恐れから先に吠え、噛み付く、
というのが事実かもしれない。
いずれにしても、悲しい姿で、
幸せからはほど遠い世界だ。
そんな生き方が子供にとって見本になるとは思えないし、
僕はそんな世界には住みたくない。
さようなら・・。


木坂さんが版画に添えてくれた和歌がある。

隈もなく澄める心の輝けば
我が光とや月思ふらむ    明恵上人

彼の絵から放たれる光を感じながら、
この歌を心のうちで詠んだ。

月が自分の光と間違えるほど
心が澄んで輝くならば、
相手の心の牙もなくなるだろうか。
吠えたて、噛み付くことも起こらないだろうか。

木坂さんの絵から放たれる光を信じられるならば、
その光も有り得る、のかもしれない、と思う。
その光を信じて、
そこを目標に向かいたいと思う。


ありがとう、木坂さん。
光にはいつも希望があるね・・・。


 


| - | 23:54 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート 『アイランド計画』5

屋根の輪郭が見えて、空が間に入り込む。



無くなってみて、
やはりそこが余分だったことがよくわかる。
家が軽くなった。
接続していたときは、
屋根が谷樋になって納まりも不自然だったところ。
初めて見たときから気になっていたので、
すっきりした姿を見て安心する。



離れ側を見る。
屋内に取り込まれていた井戸も屋外になって落ち着いた。
畑に向かって開けたこの部分を『青空広場』と名付けてみた。
農作業や様々な仕事、屋外での食事やお茶など
色々なシーンが浮かぶ。パン焼き釜をつくっても
楽しそうだ・・。
手を使ってはたらくことがよろこびになる場所。
後藤家のみんななら、
周囲の人達と様々にわかちあいながら
きっと存分に使ってくれると思う。



内部も解体され、新しい姿になるのを待っている。





ブルーシートの向こうに新たな姿が見え隠れする。
亀井さんが各部分について十分に考えながら、
解体を進めてくれているのをきいて、安心。
実際に建物をつくるのは工務店であり、
現場の職人さんなので
こころをこめた仕事をしてくれる人達と一緒につくれることは
家づくりにあたってとても大切なこと。
亀井さんとの縁も後藤家のみんなの人徳だと思う。

これから本格的な工事にはいってゆく。



















| 『アイランド計画』 | 23:29 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート『 I ビル 』1
 

先日の地鎮祭に引き続き、工事の進んでいるIビル。
基礎の鉄筋を設置する工事がほぼ終了している。
年内に基礎のコンクリートを打設しておきたい。

今でこそ大阪市内は縦横に道路のはしる土地になっているが
中世頃までは入り江や川の入り交じった場所だった。
今繁華街になっている難波の辺りも海の底だったようだし、
この敷地周辺も入り江と陸地が複雑に入り組んだフィヨルドの様な地形の
場所だったそうだ。
だからほんの少し位置がずれるだけで、地盤の状態が全く変わってしまう。
場合によっては支持地盤に出会うまで杭を何十メートルもうたなければ
建物が建てられないような場所も沢山ある。

この敷地は、地盤調査の結果、
幸運なことにもともと陸地だった部分にあたっているらしく、
何とか杭をうたなくても建物が建てられた。
近隣の敷地では全く地盤の状況が違っていると聞く。
有り難いことだ。


敷地の形状は奥に細長い鰻の寝床で京都の町家の敷地のようだ。
両側にも建物が迫っていて、何かと工事はしにくいが
無事に進めていってほしい。















| 森田建築設計事務所 現場レポート 『 焼肉・冷麺 一龍(I ビル)』新築工事 | 03:49 | - | - |
上門前で結ぶ催し『誕生日 餅つき大会』
 恒例行事になりました年末の餅つき大会。
私、森田徹の誕生日会でもあります。
おかげさまで、
この日を持ちまして満41歳になりました。
どうも有難うございます。



この一年、沢山の出来事を経験しました。
大きな節目だったと思います。
蛹が中で一度どろどろに溶けて、
蝶として孵化するような、新たな誕生。
・・蝶になったかどうかはともかく、
何かが落ちて中が変化したのは確か・・
この誕生日を迎えた心境はそんな感じです。



誕生日にむけて、又当日、
沢山の心のこもった贈り物、メッセージを頂きました。
皆様の愛に心より感謝します。
誰かに思ってもらえるということだけでも
人が生きていく充分な理由になり、
大きなエネルギーを与えてくれます。
こういう機会に
人は言葉やものを通して
それをあらためて確認することが出来て
その幸福を感じることができる。
そして、
誕生と言う祝福を受けたことを感謝することができる。
・・年に一度、誕生日というものがあることに感謝します。
人にそういう機会を与える為におつくりになったのかな、
とさえ思います。




上門前の家に沢山の人が集まってくれました。
九州や栃木、愛知、岐阜などの遠方からも・・。
皆様、どうもありがとうございます!
一緒に誕生日をお祝い出来て嬉しいなあ。
この日,初めてお目にかかる方もいたのですが、
初めての様な気がせず、もうずっと前に知り合っていたような
気がしました。



これで二度目を迎える餅つきは
去年より何だか美味しくつきあがりました。
慣れてきたのか、
今年の山田さんの餅米がよく出来ていたからか、
来てくれた皆様の力か・・。
お餅がつき上がっていく感じが去年よりも
何だかスムースで、
お米の粒粒がそのまま光りの粒粒のように見えました。

お米=光の粒が杵と臼でつかれて一つの大きなまとまりになっていくように、
上門前の家にいた皆さんが
一つにまとまっていき、大きな何かを生み出していました。
そこから発せられる温かさや光りがまた
さらなる温かさや光りを促していくようです・・笑顔、笑顔。

60合のお米がお餅になって、
皆さんの持ち寄りのお料理を頂いて、
お手製のケーキを前にHappy Birthdayの合唱をして頂き、
感無量の喜び。有難うございます。
午後には出し物が披露されました。
Michael Jacksonの 『Smooth Climinal』のダンスを
りょうこさんと久美と三人で。
夜の練習の成果があったでしょうか。りょうこさん、指導ありがとう。
わたるくんの歌ってくれた『Heal the World』、
この歌に僕らの目指す世界が歌われています。美しい歌声をありがとう。
ターケンの熱唱にはいつも愛が満ちているなあ、
一緒に演奏出来て楽しかった。ありがとう。
僕もバイオリンの演奏をさせて頂きました。
『ハウルの動く城』のように、僕らは今一つの船に乗っていると感じます。
その航海が『アヴェマリア』で祝福されますように。

この日は僕の誕生日なのですが、
僕の誕生への皆さんからの祝福はそのまま
皆さんの誕生への祝福にもなっているということを感じていました。
お互いが存在しなければ、おめでとう、有難うと
言いあうことも出来ない。誰かの誕生を祝うことは
そのまま自分の誕生を祝うことでもあるのです。
そしてそれを言いあうことができるつながりの中に今あることに
深く感謝します。
こころを ものを わかちあい、共有出来るつながりの中に。
このひとときの中に、
『Heal the World』にあるような世界が
生まれていることを感じられたら、本当に素晴らしいことです。
それが僕らの生きる日常になっていくように。世界になっていくように。
思いを広げ、深め、つなげてゆきたい。そこを生きていきたい。

年に一度のこの日が
そうしたことをお互いに感じられる機会になればいいな,と思います。
来年の12月23日にもまたお会い出来ますように。
どうも有難うございました。








この夜、
空に船を見ました。
船の周りに光りがいくつも煌めくのを見ました。


そして smile をありがとう。
愛さん、なんちゃん。


もういちど、
メッセージやプレゼントを送ってくださった皆さん
来てくださった皆さん、
準備から最後までご苦労様でした
スタッフの皆さん、
久美、家族のみんな、
心より、ありがとうございます。








| - | 22:19 | - | - |
冬至
ふゆの いたる よる

そらに うかぶ ぎんのふね

にしのそらに

おそれ いかり うたがい かなしみ

てをはなし

そらに かえして

いざ ふねに のらん

あたらしき いのちの はじまりの よる

あたらしき よへ むかう ふねに


| - | 10:44 | - | - |
年末恒例 『くらしの中のヨガ』 太陽礼拝108回 
 上門前の家「くらしのなかのヨガ教室」では
すっかり年末恒例行事になった感のある
『皆で太陽礼拝108回』。
気がつけば3回目、今年は初めて参加の人も含めて
14名で一緒に。
ここにきてようやく少し冬らしくなってきた今年、
薪ストーブを焚いて吹き抜けの空間を暖める。

煩悩の数108ともいえるし、
年齢になぞらえる人もいる。
この太陽礼拝108回は様々にとらえることができて
その間、人それぞれの体験が待っている。
もう一つ、
一人ではなく、仲間と一緒にしていることの
大きさを実感することができるのも、
この108回で出会える大きな体験。
全員のエネルギーが船のようになって、
身体を運んでくれる様な・・・。

呼吸を合わせ、
マントラのチャンティングをした後で
清水先生のカウントとナビゲーションで108回の航海に出る・・。
呼吸に意識を向けてエネルギーの流れを感じながら、
身体がそれに沿って動いてゆくのを感じる・・。
カウントに合わせ、淡々と続けてゆく。回数もあまり気にせずに・・。

おおよそ60回を過ぎた頃に一瞬、
自分の身体に意識が向きそうになった。
疲れてきたかな、と思ったそのとき、
今自分がヨガをしているのは自分の為ではなく、
ここで生み出すエネルギーが地球のエネルギーを高めているんだ
というビジョンが閃いた。
今ここで頑張ることが、
世界中の倒れそうな人々や弱っている動植物、大地、海ー地球を
底上げするエネルギーになる、ということを感じた途端、
身体の中を流れるエネルギーがそれまでより倍増した。
そして、僕のエネルギーが世界中に広がってゆくのを感じた。
飢餓の人々や傷ついた動物、伐られて弱っている森林、
汚染された海や大気の中にエネルギーを送って一緒に
立ち上がる。そんなビジョンがアサナの間ずっとあって、
身体の動き自体が高山になったり、
海になったり、世界の様々な動物や人々と一緒に動いたり・・・
そんな感覚を感じていた。
そのビジョンの続く中で、僕の中で感じるエネルギーは大きくなっていった。
それらの様々な存在と一緒にアサナをとっている喜びと感動も
味わいながら。

僕はその時、地球とヨガをしているようだった。
地球と一体になっている様な感覚を味わっていた。
ヨガを通して生み出されるエネルギーが僕と地球の間を行き来した。
人は大自然から与えられたエネルギーを
こういう形で地球や大自然にお返し出来るのか、
こうして宇宙のエネルギーの循環に関わることが実は出来ているのか、
ということを知った。

何故そうなったのかはわからない。
『太陽礼拝』が祈りの形だからだろうか。
僕の中の意識とその祈りが通じて、何かを教えられたのかもしれない。
とても大きな体験だった。感謝。

この体験でマイケル・ジャクソンのしていたことの
大きさと意味をあらためて思った。
彼がステージの上で純粋に踊ること、
歌うことがそのまま地球のエネルギーになっていたのだと思う。
「Man in the mirror」や「earth song」「heel the world」
といった歌でのメッセージはそのことをわかって歌っていた様に思える。
彼のダンスや歌のメッセージに観客が感動して同調する時、
その大きなエネルギーは一体になって地球へお返しされ、
地球のエネルギーが大きく上がったのだと思う。

空想でも夢物語でもなく
それは宇宙のエネルギーの循環の事実なんだと思う。
僕らがまだそのことを語る十分な言葉や認識を
もっていないだけではないだろうか。
ここから開かれてくる沢山のものがあるのを感じる。
今はすべてを表現出来ないが・・。


今年の108回は思わぬ大冒険になった。

終わった後の持ち寄りの食事会も楽しく、平和で満ち足りたひとときだった。


『自分の心と身体に感謝しましょう。

繋がるすべてのものに感謝しましょう。』

この言葉もあらためて実感する。

このひとときを共にできた皆様、
どうも有難うございました。






































| - | 20:36 | - | - |
GRACE
今日は、後藤アイランドの設計契約と工事契約を結ぶ日。
ふたつの契約が重なるのも普通はなかなかない形なのだけど、
ここではそれが相応しいのだと思う。
ようやくこの日を迎えられて嬉しい。

駅まで迎えにきてくれた後藤家の面々。
顔を見ると、なんだかほっとしてまた嬉しい。
ー遠路ありがとう、こちらこそ、ありがとう・・。
ところがその5分程の駐車の間に駐禁を切られてしまった。
ーこれはきっと厄払いね、
ーそうそう、これで済んでよかった、と
気をとりなおして現場へ向かう。
車中、雲の切れ間から幾筋もの光が地上に注いでいる光景を目にする。
これは祝福、よい兆し・・心配ないよ。

家は空の中に屋根の輪郭を
以前よりもはっきりと見せながら、端座していた。
家の中にも、もう以前あった過去の澱のような気配は残っていない。
からんとして、工事を待つばかり。
準備が整ったのだと思った。
来るべき時に来るべき時期がきちんと訪れるし、
そのために必要な時間や事柄が揃わなくてはならないのだろう。
大自然の大きな意志、流れというものを感じる・・・。

工事をして頂く亀井さんと後藤家の工事契約も無事に。
そして工事の打ち合わせ、2月末までの工事の様子を想い描く。
来週にはもう一度解体後の現場を確認に来ることに。
ここまでかかった時間の分、勢いがついて(?)早く進みそうだ。
古建具や照明、塗装など、様々な段取りを考える。
家は待っている。

お父ちゃんものりちゃんも、
熱をおしてきてくれたふみちゃんもみんな嬉しそうだった。
のりちゃんのブログには喜びや気持が素直に素敵に綴られている。
読んでいて、10年前の事から関わる人たちのこと等々、又
あらためて家をつくる、ということについても
想いを馳せてみる事が出来た。
どうもありがとう。この日には色々学ぶ事、確認する事があったね。


帰りの電車中で、
今日感じたような感覚をなんというのだろうか、
と考えていた。
全てが整えられて、進んでいくばかりの状況、
そこへの喜びと感謝が湧いてくるような状態を・・。
読みかけの本の中に相応しい言葉があった。

ーGRACE 恩寵

芹沢光治良先生の『人間の幸福』から。


工事を終えた時、また
この言葉を思い起こせるように、
竣工まで進んでいきたい。














| 『アイランド計画』 | 00:33 | - | - |
ある一日
 今日は大阪市内で地鎮祭があった。
飲食店になる鉄骨造3階建てのビル。
計画の声をかけて頂いてから紆余曲折あって、
かれこれ一年、ようやくここに辿り着いたが、
今この時期になったことが、
なんだか妙に腑に落ちるものがある・・。
ここまでの過程を知ってはいるが
可視不可視、通常の認識の及ばないところまで至る、
様々な条件が整ったのだろうか。

大通りに面して両側を大きなビルで挟まれた奥行きの長い敷地、
両側のビルがつくる天へ向かう垂直の虚。
何故か裏の神社からこの敷地の前だけが通りの向こう、
ずっと先まで遮るものがなく抜けているのも不思議。
二つの軸からのエネルギーがここでどんな実を結ぶだろうか・・。

神事の準備までの際の
ふとした会話の言葉の端々からそんなことが想像の中で
像を結んでゆき、現実に立ち上がる姿へ投射されてゆく。
この場を建物という3次元のものにかたちづくってゆく
人と人の結びつき。
ここではその出会いにも何か不思議な縁を感じる。
関わる人の名字が同じだったり・・。
これがずっと以前から用意されていた事柄かのような、
そんな気持ちになることが度々ある。
それぞれが欠かせぬ役割を演じていて、相互に補いあいながら
事柄が進んでゆくさまを目の当たりにしていて、
その中で働いていることに喜びと充溢と感謝を感じる。
このまま竣工まで進んでゆきたいと思う。

神事の際、風が吹いて
この場所の今までを清めているかのようだった。

私たちはこの場を形づくるためにベストを尽くします。



・・・・・・・・・・・・・・

午後は上門前の家でオイリュトミークラスがあった。
意志によって、「私」を貫いて流れる力を感じること、
音そのもの、響きそのものとしての動き、
その背景になる深い所に在る静寂、沈黙・・・
空間に響くハレルヤの共鳴・・
それらを感じる時間。
終わってからの先生との話で、
最近疑問に感じていたことが腑に落ちた。
なるほど、そうなのか・・。
ふと先生の名前が目にとまる。
『鈴木智子』
「鈴」は音を出すもの、魂振る(たまふる)神具。
    これはまさにオイリュトミーの行為のようだ。
「木」は上に向かう意志の力、命の象徴としての存在。
「智」はソフィア、智慧。
「子」は人。
そうか、先生は 
「オイリュトミーという智慧を伝える人、体現する人」
として存在している、
ということが名前に現れているんだ、と
思ったのでそう伝えた。
まだまだオイリュトミーの扉を開いたばかり、
これからも多くのことを学ぶことだろうが、
もう既にかけがえのない智慧をいくつも教えていただいたような気がする。

例えば、
下に向かう重力の存在は誰もが知っているが、
上に向かう力の存在や、それが命や光なのだということは
オイリュトミーを通して認識し、その存在を体感して確認した。
とても大切なものなのに、
我々の日常の言葉や認識の中には
それを指し示すものや意識が欠落しているのが、不思議なくらい。
それに代わるものがかつては存在したのかもしれないが、
今は生活の中からは失われている様な気がする・・。

先生、どうも有難うございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

夜は岐阜の山田さんご夫妻と
我々夫婦に城くんとで『上賀茂 御料理秋山』さんに食事に行く。
秋山さんのおくどさんで炊いた、山田さんのつくったお米を
ご本人達に食べて頂きたいという、年来の念願がかなった。
今年は山田さんには沢山お世話になったので、
その感謝の気持ちもあり、来年からの新しい展望を
伝えて、意向を伺いたいという気持ちもある。
城くんには日頃の頑張りへのねぎらいと、設計した仕事、
その場所でおこっていることを見て何か感じてほしいと思う。

久しぶりの秋山さんは
当のご本人を始め、厨房の中の面々から
何か溌剌とした気分と楽しさ、
てきぱきとした仕事ぶりや相互の役割を尊重しながらの連帯感が感じられて、
充実した雰囲気があった。
ミシュランに載ったからというばかりではないだろう。
もっともっと深い所から自分たちのあり方を見定めた様な感を受けた。

料理は心づくしのものでどれも美味しかった。
素材も名産のものから、親戚や近所の畑や果物まで
自由自在に取り混ぜて、見事な一品に仕立てていく。
一流の料理人の腕前で、気持ちは料理の大好きな少年のままの
濁らない愛情をもって料理を楽しんでいるさま。
格好を付けずにありのままでもてなしてくれる姿を見ていて、
秋山さんが自分の原点に立って
料理に取り組んでいこうと決心したのだということが
伝わって来て嬉しかった。
この店を設計した時に汲み出して、場をかたちづくる基本にしたのは
まさにそういう想いだったからだ。

お店は常連さんばかりだったようで
料理が進むにつれ、雰囲気もほぐれてゆく。
山田さんご夫妻も楽しんでくれているのが嬉しい。
杯が進むにつれ、声が少しずつ大きくなるのに嫌な気がしないのは
山田さんの大きくて素朴な人柄ゆえか、
あの広い田圃を吹き抜ける風の様な気持ちよさを感じて
周囲も何か微笑ましく楽しい気分になる。
その様子を微笑みながらどこかでそっと見守りつつも、
自分のペースで携帯で写真を撮って、料理を楽しむ奥様も微笑ましい。
山田さんの安心はここにあるのだなあ。
お二人とも飾り気がなく正直で心根が健やかで、大好きな人達だ、と思う。
一緒に夢を持って、進みましょう。来年、楽しみです。

いよいよおくどさんで炊かれたご飯が大きな土鍋から
湯気をたてて現れる。
炊きあがったお米たちは、山田さんとの再会を喜んで
ピカピカ光ってお父さんお父さんと呼び立てているように見えた。
山田さんは自分のつくったお米の美味しさに感動していた。
そして、声に出して喜びを素直に表現する様子に僕は感動した。
ここでも僕はあの山田さんの田圃が目に浮かんで
稲穂が風に揺れている光景を見ている様な思いがしていた。
大地の上でしっかりと生きる人の健やかさや輝きを感じて、
喜びに満たされていた。
他のお客さん達も山田さんの喜びに共感したようで、
場は盛り上がって、美味しい美味しいと誰もおかわりが進んだ。

場を変えて囲炉裏の間で〆のお茶とお菓子を頂いている時、
秋山さんが
「お店が出来る時、森田さんを通じての
ご縁で出会った山田さんのお米でこれからもずっと行きたい。
お金を出してグレードの高いものを探す,というやりかたで
料理をしていくというのは意味がない。出会った縁の方を大事にしたい。」
という話をされた。

縁を深め、お互いに励みになるような言葉だったと思う。
山田さんは来年の米作に向けて、決意を新たにしていた。
毎年この時期、ここでこのように出会おう、という提案もあって
又楽しみが増えた。名残惜しいが、又逢いましょう。


長く充実した一日。
感謝。




夫婦日記ー妻へ
心配なく。いつもここにいます。



(感謝)




| - | 23:21 | - | - |
暮しの中のパンづくり
 

『パン工房森田くん』(命名くみ)、連日営業中。
毎朝、一斤の食パンを焼き上げております。

先月のパンの日の翌日から焼き始めましたので
ちょうど1ヶ月が経とうとしております。
風邪や仕事やで何度か抜けましたけど、
ほぼ毎日営業中(笑)。
最近は焼かない日はなんだか物足りないくらい。
慣れるとくらしの一部になります。
夜寝る前にこねて、一晩明けると
一次醗酵の終わったパンが待っている。
毎朝の楽しみです。
二次醗酵の間はヨガやったり色々出来ます。
焼いてる間も他の用事も出来るので、
時間さえ把握しておけばそんなに
かかりっきりにならずに済みます。
パンづくりって、
プロとしてやるのでなければ、
案外、くらしの隙間のような時間で
十分にまかなえる余地があるな〜と思います。
酵母が大切な仕事は大方やってくれますし、
オーブンが火の管理もやってくれますので、
有り難いですね。

おかげさまでレーズンから起こした酵母も元気です。
ガラス瓶の中で小麦粉と水を糧に
縦横無尽、網の目状に育っております。ちょうど
トラバーチンと言う大理石の一種の様な模様になっていて
美しいのです。調子が良いときは、ひっぱると
ふるふるふるふると震えながら、
驚異的な伸びを見せてくれます。
思わずうほほーいと声を上げたくなる様な感触です。
なんだか可愛らしくなってきます。

捏ねているとき、
粉や酵母や水などが合わさって一つになる瞬間があります。
そこを越えると、その前とは違うものになっているのを
感じます。手先から伝わるその感覚を味わうのは
他には代え難い喜びです。

僕のようにのんきなパンづくりでも
作る過程で出会える様々な感覚や発見があります。
日常、意識出来ない微細な感覚や存在を感じ取り、
そこと繋がっていることを意識出来るのは、
一つの確かな、充実した、幸福な時間なのです。

作る行為と過程自体で
既に多くのものを与えられるのですが、
そこから出来上がったものを喜んで食べてもらえるならば、
まあ喜ばしいことで,なんと果報なことでしょうか。

そんな調子で
我が家のくらしの中にパンづくりは根付いてきています。


日々、パンを捏ねることは、
暮しの中の何かを捏ねることに、繋がっているようです。
一つになっているのは
パンだけではないのかもしれません。







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