今日は大阪市内で地鎮祭があった。
飲食店になる鉄骨造3階建てのビル。
計画の声をかけて頂いてから紆余曲折あって、
かれこれ一年、ようやくここに辿り着いたが、
今この時期になったことが、
なんだか妙に腑に落ちるものがある・・。
ここまでの過程を知ってはいるが
可視不可視、通常の認識の及ばないところまで至る、
様々な条件が整ったのだろうか。
大通りに面して両側を大きなビルで挟まれた奥行きの長い敷地、
両側のビルがつくる天へ向かう垂直の虚。
何故か裏の神社からこの敷地の前だけが通りの向こう、
ずっと先まで遮るものがなく抜けているのも不思議。
二つの軸からのエネルギーがここでどんな実を結ぶだろうか・・。
神事の準備までの際の
ふとした会話の言葉の端々からそんなことが想像の中で
像を結んでゆき、現実に立ち上がる姿へ投射されてゆく。
この場を建物という3次元のものにかたちづくってゆく
人と人の結びつき。
ここではその出会いにも何か不思議な縁を感じる。
関わる人の名字が同じだったり・・。
これがずっと以前から用意されていた事柄かのような、
そんな気持ちになることが度々ある。
それぞれが欠かせぬ役割を演じていて、相互に補いあいながら
事柄が進んでゆくさまを目の当たりにしていて、
その中で働いていることに喜びと充溢と感謝を感じる。
このまま竣工まで進んでゆきたいと思う。
神事の際、風が吹いて
この場所の今までを清めているかのようだった。
私たちはこの場を形づくるためにベストを尽くします。
・・・・・・・・・・・・・・
午後は上門前の家でオイリュトミークラスがあった。
意志によって、「私」を貫いて流れる力を感じること、
音そのもの、響きそのものとしての動き、
その背景になる深い所に在る静寂、沈黙・・・
空間に響くハレルヤの共鳴・・
それらを感じる時間。
終わってからの先生との話で、
最近疑問に感じていたことが腑に落ちた。
なるほど、そうなのか・・。
ふと先生の名前が目にとまる。
『鈴木智子』
「鈴」は音を出すもの、魂振る(たまふる)神具。
これはまさにオイリュトミーの行為のようだ。
「木」は上に向かう意志の力、命の象徴としての存在。
「智」はソフィア、智慧。
「子」は人。
そうか、先生は
「オイリュトミーという智慧を伝える人、体現する人」
として存在している、
ということが名前に現れているんだ、と
思ったのでそう伝えた。
まだまだオイリュトミーの扉を開いたばかり、
これからも多くのことを学ぶことだろうが、
もう既にかけがえのない智慧をいくつも教えていただいたような気がする。
例えば、
下に向かう重力の存在は誰もが知っているが、
上に向かう力の存在や、それが命や光なのだということは
オイリュトミーを通して認識し、その存在を体感して確認した。
とても大切なものなのに、
我々の日常の言葉や認識の中には
それを指し示すものや意識が欠落しているのが、不思議なくらい。
それに代わるものがかつては存在したのかもしれないが、
今は生活の中からは失われている様な気がする・・。
先生、どうも有難うございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜は岐阜の山田さんご夫妻と
我々夫婦に城くんとで『上賀茂 御料理秋山』さんに食事に行く。
秋山さんのおくどさんで炊いた、山田さんのつくったお米を
ご本人達に食べて頂きたいという、年来の念願がかなった。
今年は山田さんには沢山お世話になったので、
その感謝の気持ちもあり、来年からの新しい展望を
伝えて、意向を伺いたいという気持ちもある。
城くんには日頃の頑張りへのねぎらいと、設計した仕事、
その場所でおこっていることを見て何か感じてほしいと思う。
久しぶりの秋山さんは
当のご本人を始め、厨房の中の面々から
何か溌剌とした気分と楽しさ、
てきぱきとした仕事ぶりや相互の役割を尊重しながらの連帯感が感じられて、
充実した雰囲気があった。
ミシュランに載ったからというばかりではないだろう。
もっともっと深い所から自分たちのあり方を見定めた様な感を受けた。
料理は心づくしのものでどれも美味しかった。
素材も名産のものから、親戚や近所の畑や果物まで
自由自在に取り混ぜて、見事な一品に仕立てていく。
一流の料理人の腕前で、気持ちは料理の大好きな少年のままの
濁らない愛情をもって料理を楽しんでいるさま。
格好を付けずにありのままでもてなしてくれる姿を見ていて、
秋山さんが自分の原点に立って
料理に取り組んでいこうと決心したのだということが
伝わって来て嬉しかった。
この店を設計した時に汲み出して、場をかたちづくる基本にしたのは
まさにそういう想いだったからだ。
お店は常連さんばかりだったようで
料理が進むにつれ、雰囲気もほぐれてゆく。
山田さんご夫妻も楽しんでくれているのが嬉しい。
杯が進むにつれ、声が少しずつ大きくなるのに嫌な気がしないのは
山田さんの大きくて素朴な人柄ゆえか、
あの広い田圃を吹き抜ける風の様な気持ちよさを感じて
周囲も何か微笑ましく楽しい気分になる。
その様子を微笑みながらどこかでそっと見守りつつも、
自分のペースで携帯で写真を撮って、料理を楽しむ奥様も微笑ましい。
山田さんの安心はここにあるのだなあ。
お二人とも飾り気がなく正直で心根が健やかで、大好きな人達だ、と思う。
一緒に夢を持って、進みましょう。来年、楽しみです。
いよいよおくどさんで炊かれたご飯が大きな土鍋から
湯気をたてて現れる。
炊きあがったお米たちは、山田さんとの再会を喜んで
ピカピカ光ってお父さんお父さんと呼び立てているように見えた。
山田さんは自分のつくったお米の美味しさに感動していた。
そして、声に出して喜びを素直に表現する様子に僕は感動した。
ここでも僕はあの山田さんの田圃が目に浮かんで
稲穂が風に揺れている光景を見ている様な思いがしていた。
大地の上でしっかりと生きる人の健やかさや輝きを感じて、
喜びに満たされていた。
他のお客さん達も山田さんの喜びに共感したようで、
場は盛り上がって、美味しい美味しいと誰もおかわりが進んだ。
場を変えて囲炉裏の間で〆のお茶とお菓子を頂いている時、
秋山さんが
「お店が出来る時、森田さんを通じての
ご縁で出会った山田さんのお米でこれからもずっと行きたい。
お金を出してグレードの高いものを探す,というやりかたで
料理をしていくというのは意味がない。出会った縁の方を大事にしたい。」
という話をされた。
縁を深め、お互いに励みになるような言葉だったと思う。
山田さんは来年の米作に向けて、決意を新たにしていた。
毎年この時期、ここでこのように出会おう、という提案もあって
又楽しみが増えた。名残惜しいが、又逢いましょう。
長く充実した一日。
感謝。
夫婦日記ー妻へ
心配なく。いつもここにいます。
(感謝)