愛さんのブログと”キムタカ”のブログをみて、
これはいかなきゃな、
と、何となく感じるものがあり、
久々、多分学生の時以来のマイケルに逢いに映画館に行く。
『スリラー』が世界中で大ヒットしていた時を
リアルタイムで知っているし、僕も勿論夢中で聴いていた。
MTV隆盛の頃で、『ベストヒットUSA』(懐かしい!)の翌日は
それこそ中学校の廊下中に
ムーンウォーカーや沢山のモンスターがいたものだ(可愛いなあ)。
で、僕に取ってのマイケル・ジャクソンという人は
その頃の印象と、
近年はスキャンダルめいたニュースでしか目にしない大スター、
という程度の存在になってしまうところだった・・。
・・この映画を観て、僕は感動して泣いた。
つまらない先入観で本当のマイケルを知らないまま、
過ぎてしまうところだった。ごめんなさい、マイケル。
7月から始まるはずだったツアーのリハーサル風景を納めた映像。
なぜ、その風景が映画になって公開されることになったのか、
観ればわかる。
マイケルは本当に純粋そのもの、
音楽そのものになって生きていた人だったのだ。
彼の音楽も歌もダンスもそこから生まれてくる、
尽きることのない泉。
全生命をかけて、音楽そのものに向かって、光になった。
常にベストを尽くして、謙虚でフレンドリーなマイケル。
その姿に僕らは皆感動する。
ツアーに関わったスタッフやミュージシャン、ダンサー達皆も
きっと同じ気持だったに違いない。映画にしたのはせめてもの、
止むに止まれぬ気持だったのかもしれない。
ツアーは無くなったが、そのおかげで(というほかないが)
この映画が出来て、ツアーを通してよりも多くの世界中の人が
マイケルの伝えたかったことに出逢うことが出来る。
「世界に愛を取り戻そう」とマイケルは言った。
彼が見せてくれるのは、
人間の持つ可能性とそれを信じて、周りとともに進む生き方そのもの。
彼は音楽への愛という形でその姿を見せてくれたけど、
世界中の人には
きっとその人その人に与えられた可能性があるに違いないし、
それを信じてまっすぐ進んでいいんだよ、
と言ってくれているような気がする。
マイケルがステージで歌い、踊っている姿を観るうちに
僕はそういうメッセージを受けとって、泣いてしまったのだ。
みんなそれぞれ違う役割があって、そこでは皆が光り輝いた存在になる。
バンドのメンバーにもマイケルはそう言っていた。
ありがとう、マイケル。ありがとう。
考えてみれば
彼は以前から少しも変わらず、
いつもそういう気持で
メッセージを音楽にのせて送り続けていたのかもしれない。
だけど、僕らはそのあまりにピュアな姿勢に、妬みなのか
信じられなかったのか、理解出来なかったのか
スキャンダルやゴシップでその真の姿から
目を背けていたような気がする。自分の中のそんな面にも気づく。
許してください、マイケル。
でも、この映画でマイケルを観て感動している自分に出会って、
人は自分の中のマイケルに出逢うことが出来る。
誰の中にもある人としての可能性と愛に気がつくことが出来る。
僕らの中のマイケルを、僕らはみんな信じているし、愛しています。
愛しています、マイケル。
最後にこの映画を残してくれて、
ありがとう。ありがとう。
またきっとみんなで逢えるね、マイケル。