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近況
3月は『去る』。1月が『行き』、2月は『逃げ』るという。そして春がやってきた。
3月末は色々あって、到底書ききれない・・、目に見える出来事、そのごく一部。

O邸離れ改装工事が始まった。
西陣織の工場だった建物を集いの場に改装する。

23日解体の様子。


庭で排水の穴を掘る宮川造園の宮川完君。


深さ80cm程度の竪穴を5箇所ほど掘って、栗石を詰める。





30分ほどで水位が上がった。
どうやら今まで地下にたまっていた水が横から穴の方へ差して来たようだ。
(後日、水は完全に引いていたので地下水ではなく一時的なものだった。)

26日。
屋根が解体を終え、下地を作り直している。









こういう古い家の改装ではつきものだが、大概家が傾いている。
直せるまで立ちを直すが、周囲の状況などで完全に治せないことも多い。
今ほど境界線も厳密ではなかったので、
隣の建物がこちらの敷地に一部入り込んでいたりする。

28日。
新しい耐力壁の基礎を作り始めている。





立ちもかなり直っている。これ以上は隣の家の出窓に当たっていて難しい。
京都の街中の古い家でまっすぐ立っている家はほとんどないだろうと思う。


春になって畑も再開した。
26日の早朝。





冷えた朝になった。山は昨夜の雪でうっすら白化粧。土が凍っている。
今日は先日の打ち合わせに基づいて
すみおかさんが縄張りをして田んぼの位置出しをしてくれたので
あぜを造り始める。



すみおかさん、この後の出勤に備えて実はスーツ姿である!
この後電車に乗って、都会へコンピューターの仕事に行く。
ぬかるみの中の作業で、又でこぼこチームの畑生活が再開したのを実感。
なんだか笑いがこみ上げてくる。



去年の経験を活かして、今年は秋には稲穂がたわわに、
畑では季節の野菜をたくさん、というイメージで決意を固めるメンバー。


31日。
アーバンリサーチ現場。地階の配筋と型枠工事が進む。













打ち放し仕上げなので、ここでの精度次第で出来上がりが決まる。
地階も思っていた以上に広さがある。ここはギャラリーとしても使用される。







| - | 01:19 | - | - |
人間の設計仕様に適した生活
電車の車中の読み物に、と何気なく買った本が面白かった。
石川英輔さんの『江戸時代はエコ時代』(講談社文庫)。
エコという言葉は最近メディアで安売り状態でちょっと食傷気味だったが、
ここに書いてあることは刺激的で、うなずくものが沢山あった。

要するに 現代の便利で豊かな生活、というのが
実は人間には適していないということ。
人間の身体はおよそ3万年から5万年くらい前に出来上がったもので
そこから急激に進化はしていない。
そのことを具体的に示している一例として
老人病が生活習慣病に変わったいきさつを上げている。
高血圧、動脈硬化、高脂血症、糖尿病などの症状は
昭和30年代までは60歳以上の高齢者に発症して「老人病」と呼んでいた。
それが昭和50年頃には同じ症状が40歳代に現れるようになって、
「成人病」と名前が変わった。昭和60年頃には十代の子供にまで現れて
「小児成人病」と呼ぶようになり、平成8年には「生活習慣病」と呼ぶようになった。
食料が豊富になり、身体を動かす機会の減った生活環境の変化に
明らかに身体が追い付いていない。
人の身体は快適で贅沢な環境には適していないつくりになっているのだ。

確かに自分の子供の頃から振り返ってみると
その変化のときを生きてきたのでそのことを実感できる。
いわゆる高度成長期以降、生活環境は激変してきた。
それまでは基本的に江戸時代とそれほど変わらないといってもいい
生活環境の中で日々の暮らしを一般の人たちはしていた。
で、統計的にはその頃の方が人は健康だったということ。

作者の住む都内の同じ場所の風景写真が出ているが、
昭和30年代と今ではまるっきり違う。かつては都内といえど、
ほとんど里山のある田園風景である。
僕の育った街を振り返っても然り、
日本中で同じようなことが起こって
人と人以外の生き物の共存できる状況が人の生活環境からは激減した。

屋外が変わったということは
屋内も変わってきたわけで、
自然の中で生きている感覚から
自然を除外して生きている感覚の方が強くなってしまったようだ。
だけど人間も自然の一部なのは変わらない。

この本の中で作者は
江戸と現代を様々な例を上げて比較しながら、
快適便利な人工環境がいかに人間の健康な身体や精神を損ねるか、
ということを冷静に綴っていく。
講演でも同じようなことを話しているそうだが、
反論としてよく今の快適な生活環境は捨てられない、
ということを言われるらしい。

そんな人にはこういうそうだ。
『縄文時代までは戻れなくても
昭和30年程度の生活様式や環境に戻るほうが
人間の心身の設計仕様には適しています。
快適便利を追うことは結局、あなたが損をしますよ。』と。

確かに。
今の時代ではどちらでも選択できる。
人から与えられるものではない。
生活をどうするかは自分で選んで決めて行動するものなのだ。
あなた次第。


設計をするものにとっては
示唆するものの多い内容だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4/4〜4/8 
第6回 くらしのかたち展 を上門前の家にて行います。
詳細→
| - | 19:46 | - | - |
つながること 共有すること
ここしばらく、
色々な人に助けられ、
もの、ことを共有している機会がとても多く
あらためて色々なことを気づかされる。

日曜日に菜食委員会の持ち寄りお弁当試食会(?)が
上門前の家であって、仕事の合間にお相伴に預かる。
春の日、花見のお供に菜食でお弁当を皆で作って
多くの人に食べていただこうという企画の為のあつまり。
自分の為ではなく
誰かのために作るおかずを皆で持ち寄って一つのお弁当に。
『もちより』 というのは
『望 寄』皆の希望、望みが寄って集まることなのかもしれない。
集まることで出来上がるおいしさ、美しさ。・・感動する。

家の改装も櫛谷建築の皆さんの工事に加え、
沢山の人が手伝いに来てくれた。
皆の手で出来上がってきた家は、
最初から自分たち以外の色々な人が使うことを想定していたので
実際、そんな家になってきた。楽しい。
毎日色々な人がやってくる。みんなの家。

実際のところ、
僕たちは自分ひとりで生きているわけではない。
仕事も生活も周りの沢山の人とのつながりの中から
成り立っている。
自分だけが得をすることもありえない。
自分だけが何かをしているわけでもない。
世界は繋がって動いているから
誰かを傷つければ、それは自分を傷つけるのと同じこと。
でもつながりを忘れなければ、楽しくなってくる。


だからもう目の前の現象を追って
一喜一憂するのはやめます。
不安からは何も生まれないし、つながりが見えてこないから。

つながることと
共有することは 生命の基本的な事実。
僕はそれに沿って
生きていく、
生きている。



| - | 22:10 | - | - |
『本を読まない男たちへ』 お勧めの本 最終回
伸び伸びになってしまったが5回目の今回でとりあえず最終回。
実は想定していた本は何冊かあったけど、
最近、身の回りに起こることを見ていて変更。
そこで本の紹介の前に、
蛇足になりそうだけど少しばかり説明を。

このシリーズを通して伝えたかったことの一つに
読書という行為を通じて
「世界を見る目のフレームを広げることが可能」ということがある。
読書によって思いがけない新鮮な世界の捉え方や
無意識にかけていた自分の中の制限に出会うことがある。
中でもいわゆる科学的、とか社会的とかいう枠組みは案外強固で
気づかないうちにかなり自分の中に入り込んでいる。
教育や一般常識ということで生きる過程で
念入りに吹き込まれてきたから仕方ないだろう。
普通に生活して仕事をしていれば、
それらがその為の前提になる(と思いこんでいる)ので
無批判に採用していてもどこかで安心してしまうのだろう。
その傾向はどちらかといえば男性の方が強いのではないだろうか。

それによって、
現実世界は、自然を利用して経済活動や物質の流れを原動力に
人が動かしている、というあたりの見方に
多かれ少なかれ大概の人は落ち着いているように思う。

ところが実はそうではないようだ。(・・という経験をしている・・。)
世界の捉え方として案外真実に近いのは童話やお伽話の中に
出てくるようなものかもしれない、と今では思っている。
そこでは火と人が会話できたり、動物が何かを教えてくれたり
枯れ木に花が咲いたりする。
確かにそれらが単なる荒唐無稽な作り話ならば
ここまで語り継がれてこなかったろう。
そこに何らかの真実があるからこそ、人は惹かれ続けてきたのではないだろうか。

そしてそれはどこか遠くの知らない人のところで起こっていることではなく、
日々自分たちの身の回りで起きていることと言ってもよさそうだ。
ただそれを感知する感性や見方を忘れてしまっている
(又は封印してしまっている)だけのこと。
確かに先に出たような世界観ならば、
日常生活を送るのにそういう見方や感性は必要ない、というより
却って邪魔でさえあるかもしれない。
朝の光の中で道端の花が微笑みかけてくるのに一々答えているようでは
山を切り開いての宅地開発も資源利用も出てこない発想になってしまうだろう。
そこでは経済活動が唯一至上の価値には到底なりえないからだ。

僕らが生きている現代都市は
もともと山や川や野原だった場所を経済効果という一点に価値を絞り込んで
線を引き、建物を造って出来上がった人工環境だから、
それ以外のものが息づく余地がない。
例えば、高層マンションは実際のところ、
経済効率のみで立ち上がっているのだから
そこが人や生命の生きる環境に相応しいかどうかは二の次のことだろう。
逆に言えば、古い町に感じる潤いは
そうではない考えや世界観が街づくりに含まれていた証でもある。

ところで僕たちはそういう現代を覆っている考え方の中でしか
生きる可能性はないのだろうか。
草や木や風や動物たちと心を通わせながら生きられるのは
童話の中だけのことなのだろうか。
世界を見渡せば、実はそうして生きている(生きていた)人たちの例は沢山ある。

今回紹介するのは、その一つでそのことを端的に教えてくれる一冊。
(・・ようやく本の紹介。)



父は空 母は大地―インディアンからの手紙 (単行本)
寮 美千子 (翻訳), 篠崎 正喜 (画)  パロル舎

『1854年、アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスは
インディアンたちの土地を買収し
居留地を与えると申し出た。
1855年、インディアンの首長シアトルは
この条約に署名。

これは シアトル首長が大統領に宛てた手紙である。』(本文より)


真実の言葉と美しい世界。

でも僕らが住んでいるのはそういう力が働いている世界なのだ。
現代においてさえも。

現代文明だけが生きる為の選択肢ではない。

大いなる存在との調和のとれた世界での幸せを思うことから、
新しい形が生まれてくるのではないだろうか。
その可能性を僕らは信じていいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本を読むことは世界を読み解いていくことに繋がるのだと思います。

読んでいただきどうも有難うございました。


(紫 完くん)
| 本を読まない男たちへ  | 21:07 | - | - |
くらしのかたち展


上門前の家 森田建築設計事務所から、お知らせです。

第六回 『上門前の家で結ぶ催し くらしのかたち展』
2009年4月4日から8日まで
はじまり12:OOから18:OOまで
上門前の家(森田建築事務所)で行います。

主に、Kurashi no Katachi 仕事する服 制作杉本幸代 意匠森田久美
クロスステッチ 制作 吉田美砂 の作品を中心に、

まな板 臼杵春芳
鍛鉄 宇根田茂
ポット 鈴 郡司庸久、郡司慶子
(クロスステッチのティーコゼとセット コラボ作品です)
ノーム 後藤典子
アロマロームフレグランス 的場久美
鈴の紐 村上わかな

パンの日のメンバーの
コーヒー豆やジャム、お菓子や、会場でもコーヒーなど
飲んでいただけるようにしております。

また、4月5日はnejiにて『料理教室森田パンの日』第五回も
同時開催!12:OOから15:OOまで
詳細はこちら→パンの日ブログ
ムラマサコーヒーはパンの日会場で飲めますので、
マイカップ持参で是非に。
※前回のパンの日新聞に第五回のパンの日の会場 上門前の家と
なっていましたが、訂正です。
場所は変わらずNEJIです。
申し訳ございません。
よろしくお願い致します。


また、いつもは日曜日お休みの八百屋ONEDROPさんも
4月5日の日曜日は12:OOから6:OOまで
お店を開けて一緒に展覧会を盛り上げてくれます。
日曜日にしかいけないし…と言う方、是非にこの機会に!
春野菜が揃っています。


今回のくらしのかたち展は1年ぶりです。
春の扉全開で、みなさまのお越しをお待ちしております。
是非に遊びにいらしてください。 (きらきらシール)



| - | 10:21 | - | - |
木々や草花とのくらし
一昨年、竣工した東京のSさんが庭の写真を送ってくださった。



竣工時には植栽が根付いた様子を見ることが出来なかったので
いい雰囲気に出来上がったのを見ることができてうれしい。
2階のテラスと1階の外が庭になっている。





花には虫もやってくる。
生き物たちの集まる場所になっていて楽しそうだ。
人だけでなく、生き物みんなの家。

このテラスでは蜂の羽音を聞きながら
お茶が飲める。
お日様の下で、蜂が来て花が揺れているさまを見つめる時間は
人の社会のそれほど重要ではないことに振り回される日々から
心を解き放ってくれると思う。
Sさんがそんな瑣事に捕らわれているとは思わないが、
この写真を見て
花や蜂に向けられた愛のある眼差しから
ここでの生活を楽しまれていることが伝わってきて、
僕はそれでとてもとても幸せな気分になった。
どうもありがとうございます。
そういうことを分かち合える人のために僕は仕事をしていきたいと思う。



芝生もあるし、



レンガの前にも緑が揺れていて
なんだか心が弾む。



外から帰ってきたときも木々が迎えてくれる。



花の色に光の驚異を見ることもある。

ここにはそう、例えば、
星の王子様がやってきて、
一緒に楽しんでくれそうな気がする。

「家や、星や、砂漠を美しくしているものは、目に見えないね!」

目に見えない秘密は
Sさんご夫妻のくらしに寄せる心なのだと思う。
家を美しく楽しくするのは、実は建築家ではないんだ、
ね、王子様。 (欅さん)






| - | 00:30 | - | - |
うたのちから
今日は気分転換にyou tubeで音楽を聴く。

UAのうたを聴いていて、
この人、全身がうたそのもの、音そのものになっている、と思った。
だから聴いている方の全身の細胞に入り込んで共鳴して震えてくる。
余計なものが何もない表情で子供のうたを歌っている姿には
とっても元気付けられる。
純粋がそのまま形になっていること、表現されていることに力をもらう。
ありがとうありがとう。うれしいな。

その印象が僕の好きな別の人に似ていて今度はそちらを聴く。
QUEEN。フレディ・マーキュリーも歌そのもの音そのものになって、
そのまま突き抜けていった人だと思う。
純粋さと繊細さがそのまま音になって体を走り抜けていったように見える。
3次元の世界のバランスを越えてしまったんだと思う。
愛だけでなく、その哀しみも
彼の歌からはにじみ出ているけど。
somebody to love 、大好きで何度も何度も聴く。
この歌を残してくれて本当にありがとう。

彼らが見ているものが音楽を通して伝わってくる。
それは生きる力、愛、
そのものの音楽。

| - | 00:55 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート 『URBAN RESEARCH 京都店』 5


基礎の配筋が終わりつつあるところ。
今日は構造事務所も来てその状況を確認している。



こうしてくると建物の大きさが段々見えてくる。
今人が立っている部分は実際には基礎として
見えなくなってしまうが、
このような見えないところに支えられて建物は建っている。



このあたりはまだ地盤が悪くないが
もっとやわらかい地盤のところだと杭などが必要になるし、
地下水などが出ていると工事ももっと大変になる。



明日の夜、コンクリートが打たれ、基礎が形作られる。
| 森田建築設計事務所 現場レポート 『URBAN RESEARCH 京都店』 | 06:57 | - | - |
『臼杵春芳 木と漆 展』 のお知らせ
いつもお世話になっている木工の臼杵さんが
個展を開かれます。


『臼杵春芳 木と漆展 テーマ/再生』

3/20(祝・金)〜24(火) 9:00〜17:00(最終日〜16:00)

灸まん美術館 香川県善通寺市大麻町338 0877-75-3000


今回は昨年の夏、
臼杵さんが京都の北山で自ら採取した漆を使っての作品展です。

昨今、普通に市場に流通している漆は中国産がほとんどです。
市場主義に呑まれて、コストの見合わない
国内の漆生産量はいまや風前の灯のような有様です。
英語では漆や漆器のことを japan と呼びますが、
漆の生産に関しては既に実体を伴わなくなっています。

国産の漆は仕上がりが違うそうです。
その場所にあっているというのもあるのでしょう。
それがいつなくなるか分からないではものづくりにとっては
由々しき問題です。

その危険を感じたのも
臼杵さんが自ら漆を採取することにいたった理由だと思いますが、
そうでなくてもいずれ臼杵さんは自分で漆をかきに山に入ったかもしれません。
それが臼杵さんのものづくりの必然の流れのようにも思えるからです。
いつもものづくりの根本に戻ろうとしているようにも見えます。
自然と調和して人が暮らしていたときの感性で、
ものを見ているように感じられるのです。

テーマの「再生」には
国産漆採取の再生という行為の向こうに
そんな想いがあるのかもしれない、と想像しています。


春の一日、
金比羅山のお参りを兼ねて臼杵さんの作品を見に行くのも
楽しそうです。
ここは臼杵さんの故郷でもあります。

→臼杵さんのHP
| - | 16:58 | - | - |
森田建築設計事務所 現場レポート 『URBAN RESEARCH 京都店』 4


地下の配筋工事が始まっている。
鉄筋を並べ、籠のように組んでいく。
これがコンクリートに包まれて一体になり
鉄筋コンクリートの構造が出来上がる。

ステージが組まれて配筋用の鉄筋が並んでいる。
繁華街なのでこうした資材の搬入は早朝や夜間に行っている。
このような街中の現場は日中以外の作業がどうしても多くなる。





このあたりはこの深さでは地下水はほとんど出ていないようだ。

1週間後には基礎部分の鉄筋が組み終わり、最初のコンクリート打設工事がある。
いよいよ建物の形が現れてくる。


| 森田建築設計事務所 現場レポート 『URBAN RESEARCH 京都店』 | 05:49 | - | - |
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