自分を観察していて気がついたが、
心に不安があると手足は『冷え』てくるようだ。
心配事に捕らわれているとき、
手がぽかぽかして温かい、というような状態にはならない。
沢山ものを食べたい状態のときも冷えている。
変に食欲があるときは、実は心の不安や怒りが
その引き金になっていることも多い。
何かを拒絶しているときも冷えている。
誰かを受け入れられない、ものごとを受け入れられない、
そういう時、手足は冷えている。
誰かのことを羨ましい、と思うときも冷えている。
ネガティブな感情が心の中にあるとき、
身体にはそれは『冷え』として現れる。
逆に温かいときのことを考えてみる。
例えば、希望に満ちて心が充実しているとき、手足は温かい。
その温かさは次から次へと湧いてくるような感じのものだ。
ポジティブな感情のときに冷えを感じることはない。
ヨガでウジャイの呼吸をしていると体が温かくなってくる。
太極拳でうまく集中できたとき、気が流れて手足が温かくなる。
この二つは身体技法として、
周囲の環境からエネルギーを取り込む技法、
又は大きなエネルギーの流れに入る技法、といえると思う。
ポジティブな感情のときは
周囲の人とも良好な関係でいられるし、物事も前向きに捉えることができる。
他者との共感、思いやりがある状態。
つまり、周囲との調和が取れ、繋がりを持った状態にあるといえる。
ヨガや太極拳のことから想像すると、
ポジティブな感情の時には実際に周囲からエネルギーが流れ込んでいる、
大きなエネルギーの流れに接続できている状態なのだと思う。
逆に、冷えた状態の時には大きなエネルギーの流れに
接続できない状態になっている、といえる。
その状態を導くネガティブな感情は、自己中心性が強いときに生まれてくるようだ。
利己的に物事を見ているとき、
そのフレーミングは限りなく小さく、狭くなっていくが
それがそのまま現象化しているともいえる。
エゴはエネルギーの流れをせき止めてしまう。
お裾分けの循環の世界というのは、
大きなエネルギーの流れに接続した状態が持続している世界のこと。