快晴。第三回菜食促進委員会として、バスに乗り
岐阜に神様米を見に行く。
神様米は
上門前の家での去年のイベントの数日後、
床に落ちていた10粒のお米。
米が落ちているのは普通ならありえない状況だが、
このときの一連の出来事からすれば得心が行く。
この米は目に見えないものが存在することを伝える為に
現象化して現れたのだという。
神様米と呼ぶことにした。
お米を分けていただいている山田さんにその米を
託して育てていただいた。
順調に育っているという。
道中、谷汲山華厳寺へ立ち寄る。
西国三十三箇所の三十三番目の札所であり、
1200年前、霊木で作られた本尊の十一面観音自ら指定して
祀られた聖地でもある。
岐阜の友人Mちゃんもここから参加。
巡礼の満願所のせいか、この土地柄か
なんだかおおらかでゆったりとした雰囲気。気持ちがいい。
山門をくぐって本殿までの道の両側に堂が
木立や地形に溶け込みながら点在する。
これらの建物は
まるで土地の力がそのまま立ち上がって形になったように見えた。
その湧き立つ力はとても好ましい印象で、
木々や堂塔と戯れながら、見えるものと見えないものの間を
自由に行き来しているように感じた。
3次元から人や自然が分かれる以前の状態や力へ。ここは
1200年よりずっとずっと以前から聖地だったに違いない。
谷汲山から山田さんのところへ。
ゆったりと流れる大きな川沿いの道、
見渡す水田と遠くの山々。広々のびのびして気持ちの良い場所だ。
風が吹き抜ける。
山田さん。兼業農家とは思えないほどの規模の水田をされている。
日に焼けた頼もしい姿を見て、神様米を預けてよかったと思う。
6月に蒔いた神様米は一粒を一つのバケツに植えられて育っていた。
あの時、床の上で拾った時のことを思うと何だかジンとした。
ここまで立派に育てていただいて、有難うございます。
一つの種から今では30くらいに分けつ(枝分かれ)して育っている。
このようにたわわに稲穂もつけている。
一粒のお米がこれまでに増えることに感動した。
農家の苦労話などを聞く。
日本の農業政策は生かさず殺さず、
しかし将来へのはっきりした展望もビジョンもないままに
農家に矛盾のしわ寄せをおしつけながら、
こういう人たちのがんばりで何とか成り立っているのではないかという印象。
農家に限らない。林業でも建築でも、食量生産のこともどの業種でも
同じような気がする。
乾燥機。米の水分量を14.5%目標に下げることで、
保存が利くようにする。
16%をこえていると一年でだめになってしまうらしい。
よく手入れされた水田。
あの美味しいはつしもはここから生まれてくる。
豊かな土地は自然の力に人が手をかけることで恵みの場所になる。
色々なことを見聞きした一日になった。
様々なことを感じ、考えた。