臼杵さんに漆をかく作業の手伝いを頼まれました。
国産漆唯一の産地、
岩手県浄法寺の漆が東照宮の修復で国に買い占められた為、
個人作家や民間にまで出回る量がないそうです。
作品に国産漆を使っている臼杵さんとしては非常事態。
京都近郊の山々をあちこちまわって、
漆の木を見つけ、地主から漆をかく許可を得たそうです。
漆がとれるのは、
よく山に生えている「山漆」や「ぬるで」という種類とは少し違い、
「さと漆」という品種。葉が少し大きく、色も濃い。
山の中の集落等の近くにいくらか残っているとか。
昔は全国にもっとあったようですが、利用されなくなると忘れられ、
伐採されたり放置されたりで、里の人々の記憶からも消えた存在になっています。
今回は北山の集落の側で見つけた場所。
川沿いに数本生えています。
道沿いだが、足場があまり良くないので、
掻く前に草刈りと足場が必要になり、そのお手伝いをします。
朝の山は気持ちいい。暑くなる前にハードな作業を終わらせたいな。
丸太で足場を組む臼杵さん。
川岸でかなり足場が悪い。
浄法寺ではもっと平地に生えていて、数もまとまっているそうです。
漆かきの条件としてはあまり良くはないところですね。
が、試しに木に溝をつけてみると、液はよく出て来ています。
こうして最初に何本か傷をつけることで、これから
漆をかきます、という合図を木にするのだそうです。
傷口を塞ごうという働きを活発にさせるため。
この作業を「初辺(はつへん)」といいます。
漆かきのシーズンは夏場の6月から8月一杯くらいで、
この時期の初辺は少し遅いことになります。
幹に溝をつけるのはこの道具。
このような漆専用の道具を作る職人さんは青森にいるらしいのですが、
今では日本中でその人、唯一人しかいないそうです。
後継者がいないと道具から途絶えてしまいます。
もっとも、浄法寺でも漆をかいているのは
平均年齢70才以上の方ばかりだそうで、このままでは漆をかく技術も
消え去るかもしれません。
国産漆の利用は縄文時代以来の国の伝統技術と言ってもいいのですが・・。
これは、最初に幹の苔や皮をすこしこそげる
「へんずり」という作業に使う道具。
刃に少し反りがある鎌といったところ。
左は先ほどの幹に溝をつける道具。
真ん中はにじみ出て来た漆をかき集める道具。先の方の曲がった部分で
漆を掬い取る。大きな耳かきと思えばイメージは大体あっているでしょうか。
右端はかいた漆を溜める筒。木で出来ていて、なかなか趣のあるもの。
これが臼杵さんの漆かき専用道具一式。
足場が出来て、草刈りも完了したのでいよいよ漆を掻きます。
まずは一番足場の良い場所から。
臼杵さん、漆かきスタイルもなかなか様になってますね〜。
まずは皮をこそげる作業から。
あまりこそげ過ぎても木を傷めるので良くないとか。
案外加減が難しい。昔は「へんずり三年」といって、
最初はこればかりさせられたそうです。
次に幹に溝をつけていきます。
初辺の次に溝をつける作業を「あげやま」といいいます。
3回目以降は名前はないそうです。
初辺でつけた溝は、
大体15センチくらいの間隔で5〜6本になっており、
木の裏表にピッチを半分ずつずらしてつけます。
あげやま以降はこの間に順に溝をつけていきます。
これから10回程度、かくそうです。
晴れていれば3日おき、雨がふると4、5日待ちます。
溝からじんわりと樹液=漆がにじんでくるところ。
これを先の道具を使って、こぞげるように筒に集めます。
う〜ん、あまりにシンプルかつ、原始的な
直裁でひねりのないストレートさに、大いに感動・・・!
漆の一滴は黄金の一滴、といっても過言ではありませんね・・。
この作業は合理化とは無縁のものです。
残念ながら国内で衰退してしまった理由もここにありそうです・・。
一体、この筒を満タンにするにはどれくらいの木を
まわらなければならないのでしょうか。
この作業と本当に見合う金額は経済的な市場原理だけでは
本当はつけられないと思います。
畑で実際に野菜づくりをして感じた、
市場での野菜の安さと通ずるものがあります・・。
これでは後継者もなかなか出てこないでしょう。
そんなことを思いつつ、
臼杵さんの作業姿を見ていると、
あれこれ理由をつけて手に入らない、とか体制に問題がある、とか言う前に
自分で漆をかきに山に入ってしまう、
臼杵さんのシンプルで直裁な姿勢に
そんなあれこれを軽々と乗り越えてしまうものを見ました。
それは漆かきの行為とためをはるくらい、
ひねりがなくて真っ直ぐな方法です。
少しずつであっても溜まれば、きっとたっぷりとした量、
充分な量になるに違いない・・と信じる姿勢。
やはり「99%の実践に1%の理論」が
肉体をもっている我々の出来る事なのでしょうか。
というわけで、
今日はとても良いものを見せて頂きました。
有難うございました。