今日はなんとなく思いついて久美とone dropさんに行き、
そこでcafe milletの樹理さんと邂逅して、
皆で色々話して、一緒に何かを始めることになった。
このあたりのいきさつはの
久美の日記を読んでもらうと臨場感があって
イメージが膨らむ。・・何だか、もう決まっていることを進める為に
DVDとかを早回しして先に進めているような感覚の時間だった。
大きな流れを感じる。
その流れは電波のようなもので、
そこに自分のチューニングをあわせれば
自分という画面にはビジョンが映し出される。
それは閃きだったり、行為だったり、ビジョンだったり
人によっても様々なかたちをとるようだ。
チューニングの合わせ方は、どうやら自分の意志らしい。
自分がどのように生きるか、という。
そうすると、それにあったものをキャッチするが、
今流れている大きな流れは『共存共栄』という方向性だ。
それに波長を合わせると流れをキャッチ出来る。
感じ方の強弱や鮮明度に差はあるかもしれない。
この大きな流れは
地球という一つの生命体が起こしていると捉えてもよいかもしれないし、
もっと大きな所から起こっているものかもしれない。
環境破壊や様々な問題で荒れて来たので
地球が生命体として自然治癒力をはたらかせつつある。
人間が自然治癒力をはたらかせて、身体に害を及ぼす細菌を排除するように。
例えば人間の中では70億ある細胞が個々に違った働きをしながら
コミュニケーションを取りつつ、
全体で一つの生命体を形作っている。
そこでは共存共栄がその本来のありかたで、
個々が補いあうから全体が存在し
全体が存在するから個々も存在するという状態で
生命が維持されている。
それに反する存在ががん細胞だ。
これは全体の為に補いあうこともなく、
それだけの為に存在しようとして
結果的にそれが存在している全体の生命も奪ってしまい、
自分の存在も失う。
これは今、地球に対して人間が行っている行為やあり方のように聞こえる。
生命の本来のあり方を取り戻そうとするはたらきが
今起きつつある大きな流れならば、
その方向は当然、共存共栄ということになる。
そこに個々がチューニングを合わせれば、
自ずからどのように生きて行けばよいのかが見えてくるのではないか。
この先、何が映し出されるかはわからない。
だけど個々に与えられた特性によって、
相補いあうようなはたらきをすることが出来るように
生まれついているのではないだろうか。
がん細胞的な利己主義や物質主義に陥らない人間社会のあり方が
生命としての本来のあり方に添ったものであるのならば、
ぜひとも見てみたいものだし、そのように生きてみたいと思う。
いつの日かそこへ繋がって行く始まり。
あのとき、あの場で皆が感じたのは
そんなことだったように思う。
理想社会の成立は歴史的に何度も失敗して来た試みだが、
今度は人為的な発想だけでなく、
自然の大きな流れにのってやるのだから
そこから離れさえしなければ、失敗のしようもないのではないか。
そんな大きな想像も膨らむ・・・。
我々は大きな生命体の中の正常細胞として生きるという意志が
このとき受精したのかもしれない。