文字通り、
『足を暖かくして頭のほうは暖めすぎない、
少し冷えてるくらいが体にはいいよ。』
だから暖房する時もそうするといいよ、
という、体を心地よい状態にするときの秘訣、
のような意味だと受け取っておりましたが、
どうやら違うかも?
これは実は、
体の調子が良い状態をそのまま描写している言葉
もしくは、
体の自然な適応能力をそのまま描写している言葉
なのではないか、と今朝、思いました。
朝起きて、いつもなら「寒いな〜」と思って
すかさず靴下を履き、そこそこの防寒体制の服装
になってしまうのですが、
今朝は何も考えずに素足と薄着で
寒い家の中をうろうろしました。
その後靴下を履いてみると、
履いた後の方が『今は寒いんだ』と体が認識を変えた
というのを感じたのです。
で、実際それに伴って足も冷えていくのがわかる。
水風呂に入ると返って体がぽかぽかして中から暖まってくるのですが
それと同じことですね。
どうも少し薄着の方が体がそれに対応して中から暖めてくれるようなのです。
例えばストーブもつけてしまうと、
そこに体の反応が照準を合わせてしまうのですが
ついていなければそちらに照準を合わせて体が適応する、ように思います。
体はそういう能力を持っています。
そこから解釈すると
『頭の方が寒いときは、足は発熱する』から
『頭寒足熱』なんではないかな、と。
・・・『頭寒』の方も何か別の意味があるかもしれませんが。
体が適度にその能力を発揮出来る環境というのが
人には一番良いのかもしれませんね。
快適な温度環境を作りすぎると体が適応することをやめてしまうだろうな、
というのは自分の体験から振り返ってみても容易に想像のつくことです。
(このあたり、設計にも関わるのでとても興味あることです。)
でも、体はいつも持っている力を十分に出したい、
と思ってくれているので
人がそういう環境に入ればまた目覚めてくれるのではないかな、
とも思います。