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「民家は生きてきた」 ー オダチ組 (心根 古民家後日譚)

 

 

 

最近、出逢った

『 民家は生きてきた 』(伊藤ていじ 著)

という本。

数年前、鹿島出版会から復刊された名著。

建築家の内藤廣さんのまえがきがまた

出版時のおよそ50数年前から現代までの時間差を

一気に埋め合わせてくれるような、よい文章で

書店での立ち読みからつい購入してしまいました・・。

(この本を読んでいたであろう、僕の師匠の世代の建築家達の

古民家に対する思いや感じ方の背景も見えてきて面白かったです。)

 

興味深く読んだのですが、

その中で「山陽路」という章の中で、

丹波地方の民家についての記述があり、

その特徴のひとつとして、オダチ組が出ています。

 

茅葺屋根の小屋組みとして、

丸太を合掌につき合わせて組むサス組という形式が

一般的なのですが、

近畿地方だけ、

特に丹波地方と紀州南部に多く見られる形式として

棟木を受ける束(オダチ)を立てて、

そこからほぼ放射線状に太い丸太の垂木を流す造りがあり、

それをオダチ組と呼んでいます。

 

心根さんの古民家は

実測の際、小屋裏を見ていて

普通のサス組ではなく、棟束が立っていたので

珍しい形式だなという印象がありました。

それがどうやらこのオダチ組だったということを

この本であらためて知りました。

 

 

実測時の小屋裏。

葺き替え用のわらが沢山積まれています。

(無人の期間、アライグマの寝床になっていたようでした・・)

中央に棟束(オダチ)が見えます。

手前と奥の二本並んで立っていますが、

貫でつながっているわけでもなく、

独立で立っているだけです。

この本では、

丹波民家ではオダチの両脇にトリイと称する構えで

支えているのでかなりしっかりしているとの記述がありましたが、

それとは違い、より古式な造りにも見えます。

 

 

また一方では、

合わせて合掌(サス)的な部材

(中央の垂木丸太の内側に斜めに立ち上がる部材)も使われており、

サス組とオダチ組の混淆した過渡的な手法のようにも見えます。

といって、

この民家が時代的にそれほど古いものとは思えません。

 

−棟札も見つからず、築年月日は不明です。

近所の方の話では

少なくとも100年以上は経っているとのことで、

明治かそれよりも古いものだろうとのことでした−

 

 

今回の改修では

ここは空調機本体の設置場所になりました。

 

 

100年以上重ねた日々の炊事の煙による煤が

いくらでも落ちてくるので、

透湿シートでカバーすることにしました。

 

オダチ組の特徴としては

オダチに荷重がかかるので、

棟束を受けている中央列に柱が並ぶことになるのですが

ここでもそのようになっています。

そして、改修前は

その列(エントランス正面の丸窓のある壁面通り)の

を抜いた箇所があったために

その部分がかなり下がっていました。

今回はそこを上げ直した上で、

補強する柱を新たに入れてあります。

 

心根さんのある高槻市中畑は

元々丹波の一部で、

都に近い、いわゆる口丹波といわれる地域にあたります。

この辺りからぽつぽつとオダチ組が始まり、

これより丹波の先のほうへ進むとそれが主流になっていくようです。

技術の切り替わる地域としての特徴を

よく示す一つの例だとも言えるかもしれません。

 

 

この本、『民家は生きてきた』の著者による概説の最後に

「民家は保存さるべきである」という一節があります。

(以下引用・・

 

 民家は人間がつくったものである。この人間がつくったものにたいして、

等しく敬意を払うことは、人間の努力に対する正当な評価であり、

まさに人間的な行為である。

 しかも私たちがこうした民家を有意義に保存できるかどうかということは、

過去の遺産の研究資料的価値の大小よりも、

むしろ現代再建のイメージが豊かであるか否かにかかわりあっている。

建設のために民家をこわしてよいとする者は、

人間の努力に対する軽蔑であると同時に、それは自らの努力が

後世の人たちから軽蔑を招きかねないほど怠慢であることを

予想させるものであり、自らの現在の努力への誠実さを疑わせるものである。

つまりそれは彼等の建設のイメージが、いかに貧困であるかを告白するものに

ほかならない。

 もし私たちが誇り高き現代人としての自尊心をもっているならば、

祖先への郷愁ではなくして、

むしろ輝かしい構想力に満ちた未来への現代的象徴または反映として、

民家を保存すべきであると考える。

そしてその保存法方はひとつである必要はない。

現在国指定の民家にたいして行われているように、復元も一法である。

但し百年以上も前の形式に復元された場合、

私たちはもはやそこに住めないという欠点はある。

第二は軸組と外観を生かし、造作工事の変更、仕上げの改善、

設備の現代化によって、民家を再生させ住みつづけながら誇りをもって

後世に伝えることである。第三は、手法としては第二と同様であるが、

博物館・旅館・店舗等に用途を変更し、リサイクルさせるものである。

それぞれの方式には特徴があり、私たちは選択をすればよいのであり、

ひとつの形式に固執する必要はないと思う。

 

・・・引用終わり)

 

 

心根さんはここでいう「第三の方式」で改修されたものです。

私たちはここで出来る限りの

「輝かしい構想力に満ちた未来への現代的象徴または反映」としての

仕事をしたつもりですが、

それが加えられることによって、

また民家はこれからも

「生きていく」ことができるようになるのだと思います。

 

 

この本のこの箇所は

古い家を直す仕事をするものにとって、

心励まされる熱きものを感じる文章でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 『 心根 − 高槻の古民家 』 | 19:19 | - | - |
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