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竣工 (あやうたの家 12)

臼杵さん、
京都と讃岐を行ったり来たりしながら
地道に作業を重ねて、
この8月末に
無事に完了検査を終えました。
とりあえず一区切り、
臼杵さん、おつかれさまです。


玄関側の外観。




焼き杉板と平竹の目板。
黒地に黄色で虎目の模様。(施工の様子


破風板にはベンガラが塗られ、
母屋と軒桁の小口は白く塗られています。



玄関以外の外壁は壁と同じ焼き杉板の目板。
しっかり焼けた板なので60年以上ももちます。
小幅にカットした同材の目板は
焼けていない小口を臼杵さん自ら焼きました。
(施工の様子




玄関建具は京都で見つけた古建具。
なかなかいい雰囲気で納まっています。​

土間は豆砂利洗い出し仕上げ。
中に入ると・・




玄関では臼杵さん作の木彫オブジェがお出迎え。
壁は中塗り仕上げ
(施工の様子)。
式台とその上の黄色い框は漆材です。

入ってすぐの板張り床の和室。




天井の中央には
杉の磨きの太鼓引き丸太が通っています。
障子は臼杵さんが見つけてきた古建具。




床の間と書院。
床の地板と書院の天板は
臼杵さん秘蔵の古材。ここの床は桜材です。
この部屋の押入れは
和紙貼りになっています。(施工の様子




廊下を進んで
臼杵さん苦心の力作、階段。
(施工の様子




玄関への見返り。
廊下の両端とも
外へ抜けていく開口になっています。
 
階段を上がっていくと・・




手すり子には
臼杵さんの友人、
鍛冶屋応本さんの鍛鉄角材。




屋根裏部屋のような2階に上がります。



窓のすぐ側に
周りの樹々が見えて木立の中にいる気分。





ゲストルーム。
北には木立、東には谷が見えて
ここでの目覚めは気持ち良さそうです。




吹き抜け側の開口には
これから障子が入ります。




二段に組んだ梁の上で
合掌に組んだ登り梁​の小屋組

そこに重なる十字に組んだ吹き抜け上の梁組。




吹き抜けの大きな空間が
生活の中心の場になります。
この部屋の床の栗板材張りも臼杵さんの施工()。
色々やりましたね〜。




そこに用意されていた臼杵さん作の椅子。
手描きの線のような手加工で斫った脚は
野太くない適度な細さで、
軽快で気持ちの良い印象。
いいバランスを感じます。
新しい生活への臼杵さんの希望、
想いが感じられるようでした。

今月になって、
椅子の後ろに少し見えている
つくりかけていたキッチンカウンターが
完成しました。(

掃出し窓の外には
これからデッキが組まれる予定。
東の谷に向けて開けて、
気持ちの良い場所になるでしょう。
晴れた日の朝食とか楽しそうです。

お土産にと紫蘇を摘んでくれる臼杵さん。




家の周りは野菜が植わっていたり、
山菜が自生していたり。
漆畑もあります。
今年の天候不順の影響か、
岩手から持ってきた漆の木は
少し枯れてきているようですが・・。

構想からここまで2年ほどかかりました。
まだ完成していないところもありますし、
住みながら変わっていく部分もあるでしょうが、
それもものづくりの家らしくていい感じがします。




ここがどんな風になっていくのか、
どんなものが生まれてくるのか、
臼杵さん、楽しみにしています。
とりあえず、おつかれさまでした。














































 
| 『木を植える (あやうたの家)』 | 00:26 | - | - |
焼き杉板を張る (あやうたの家 11)

現場では臼杵さんが
土壁を保護するための外壁の板張りを進めています。


先日の雪では
この辺りにも数十年ぶりの積雪があったそうです。
現場の周囲の山の上にはまだ白いものが残っていました。





外壁に張っているのは焼き杉板。
臼杵さんが対岸の岡山で見つけてきた、
昔ながらの製法で作られたものです。




かなりしっかり焼けていて、
表面から3〜5mm程度は炭化しています。
産地の人によると50〜60年程度は十分もつそうです。
炭の色なので、自然な深みのある色あいです。




先に縦に並べて張った継ぎ手の上に
同材の目板を張って仕上げます。
当初この目板として、
周囲に豊富にある竹を割って使おうかという案もあったのですが
直材を得るのが難しくて中止。

焼き杉板の前に、
ひしぎ竹をつくって張るという案もあったのですが、
実際に本にあるとおりの製法で試しにつくってみると・・




『まず火でぐるぐる回しながら、左右に動かし
むらなくあぶる。両端から水が出てきたら終わり。』




『このあと、石の上で節を木槌で叩いてひしゃいでいく。』



一応、ひしゃいで開くことはできるのですが、
どうしても隙間ができますし、雨除け、という意味では
板張りにはかないません。
しかし、手近な材料と工具で出来るので、
関東の一部や四国、九州では
かつては見られたらしく、蓑壁(みのかべ)と呼ばれたそうです。




古建具の玄関戸が納まっていました。
雰囲気がよく合っています。




玄関から中を見たところ。
内部は荒壁が塗り終わっていました。




廊下にさす北側からの光。雀の飛ぶ窓。
窓の外は木立の庭。窓の雀はそこを飛んでいるよう。
朝ここで顔を洗うのは、
きっと清々しく楽しい気持ちになるに違いありません・・・。
臼杵さん、近所の古道具屋で500円でこの窓を購入したとか(笑)、
いや〜笑い事でなく、なかなかの目利きですな。




長いわらすさの入った荒壁には
粗いが、味わい深い表情があります。
こすれると土がぽろぽろ落ちるかもしれませんが・・。




2階の様子​。
壁が出来て部屋らしくなってきました。

竹木舞下地の土壁だからか、
不思議に新築特有の臭いがなく、空気が清々しい気がします。




朝日でお目覚めの2階ゲストルーム。
気持ち良さそうです。





北側の外壁は大分張れています。
炭色の焼き杉板の外壁が張れてくると
家全体が締まった印象になり、
又さっぱりとした簡素な風情もたたえはじめたようです。




足場の上で作業する臼杵さん。
先週は助っ人があったようですが
こつこつこの後しばらくは一人で壁を張って、それから又京都で制作。
この辺りはほとんど自力施工なので、ゆっくりした進み具合です。
竣工は夏頃かな〜?とか。ぼちぼち、がんばってください。


臼杵さんに案内されて、
敷地内の対面側の斜面から家を見た様子。




のどかな風情のいいところです。
この斜面からは海の方まで見渡せます。




遠くに丸亀城も見えます。
手前の今竹薮になっているところも
昔は家があって、畑があったそうで、
その頃は今建てている家の辺りからももっと海の方まで見えたそうです。


家の周りに蝋梅が数本、
黄色い花を沢山咲かせていたのがとても美しく、目につきました。
臼杵さんとお母さんが花のついた枝と苗を
是非に持って帰れとすすめてくれたので、持ち帰ってきました。
帰って久美に話すと、
丁度その時間に京都で久美は家の近所の蝋梅を見て、
門と話していたそうです。
来年にはうちの庭でも黄色い花を咲かせてくれるでしょうか。
初めて見るその花を門は
どこか懐かしいような、親しみある気持ちで見るのかもしれません。


臼杵さんのブログ → 焼き杉板張りの様子12 



















 
| 『木を植える (あやうたの家)』 | 18:12 | - | - |
造作工事 (あやうたの家 10)

先月末、
讃岐の臼杵さんの現場へ行ってきました。
現場では造作など、
臼杵さんも自ら工事に加わって、ゆるやかに進んでいます。


土壁は荒壁塗りが終わっています。(→土壁塗りの様子





アルミサッシの取り付けもほぼ終わって、
外部がおおよそ囲われた状態に。




玄関に石の敷居が入りました。
右手の方、柱の下に見えているのは
臼杵さんの友人から譲り受けた古材の花崗岩延べ石。
地元産の石だそうで、
普通の花崗岩より硬いそうです。




中では床の下地張が完了し、上張を始めています。
隣県の徳島の木材屋さんから購入した杉板
厚さ30mmです。
養生で見えませんがこの上に栗板を張って、一部は仕上がっています。
施工は臼杵さん自ら、竹小舞編みの手伝いにも来てた田中さんと
手がけました。→板張りの様子




栗板は幅を少しずつ変えたものを混ぜて張っています。
長さもまちまち。




結構な手間のようですが、表情はなかなか面白いですね。
ごくろうさまです。木工家・臼杵さんならではのこだわりの床。




荒壁には貫のある上に貫伏せのわらが貼られています。
臼杵さんはこの荒々しい表情がお気に入りみたいですが、
このままでは使うにはちょっと粗すぎませんかね・・。




屋根裏部屋のような2階、といっても
棟までの高さは結構あります。




その横の部屋は
低い引き戸を引いて入ります。




洗面になるところには窓に雀が遊んでいます。
臼杵さんの見つけた古建具。遊びがあって和みます。




和室。床の間と書院には
臼杵さん秘蔵の古材の栃1枚板を使用。




天井は板張りで
中央に太鼓挽き丸太を半分見せています。

大工の田村さんが造作に入るのも年内いっぱいだそうで
そのあとは臼杵さんの自力施工のみで現場が進んでいきます。

臼杵さん曰く
『完成は・・・う〜ん、来年の夏ころかな・・わからんなぁ…』

・・無理のないように、進めていってくださいね。

























 
| 『木を植える (あやうたの家)』 | 20:22 | - | - |
竹小舞をかく 2(あやうたの家 9)

 
翌日は大阪から
さおりさんが手伝いに来てくれました。
くりくりが作業について説明中。

 
この作業は
手先の器用な女性の方が向いているかもしれません
 
昔は村の人たちが皆で手伝って編んでいたようですが、
そのときに若い男女がペアになるように組ませてカップルが
生まれるように仕向けたりしたこともあったとか・・。
木舞の裏と表に分かれて、紐をこちらに来たら通してまた返す、
というやりとり。
双方が協力しないと上手く出来ないし、
作業の雰囲気も、
適度な集中とほんわか具合が同居していて
どこか心地よい時間が流れています。
心通い合わせるにはちょうどよい状況が続くかもしれません。
人の手作業のスピードは度を過ぎることがないようです。



それぞれの持ち場で作業を進めます。





作業しながら日差しを遮る軒の出のありがたさを実感。
雨のときにもこの下を歩いてゆけます。

 
谷から風が吹いてきて、屋根の下を流れていきます。
そうしてようやく・・

 
今日の予定の箇所は終了。



なかなかきれいに編めましたね。
というところで、
皆で記念撮影、パチリ。お疲れさま〜。


というところで我々は京都に戻ります。
しかし、家全体の竹小舞を編むにはまだまだです。

 
このあと、臼杵さんはこつこつと作業を続け、
最後はしばらく奥様が手伝いにこられて、
1か月ほどかかって竹小舞を仕上げました。お疲れ様でした。


ところで、
当初この竹木舞の土壁を耐力壁として想定していました。
その場合、建築基準法の規定を満たす必要があるのですが、
仕様規定の寸法や土壁の素材に関する規定などが
とても細かく厳しいのです。しかしこれをクリアーしなければ
確認申請の中間検査が通りません。
作業性や穴あけ位置の違いのため、
現場でエツリ竹を割竹から丸竹に変えた時点で
この規定を完全に満たすのは難しいと感じ、
色々検討してみたのですが、
筋違を入れて耐力を確保する仕様に変更しました。
必要な耐力はこれで確保されるので、
竹木舞土壁の強さや粘りは余力としてはたらくことになるでしょう。

そしてまた、土と木という
呼吸する自然の素材でできた空間が出来上がることに
変わりはありません。









具体的な数値や寸法で規制しないと
欠陥のある建物ができてしまうから
法規制が厳しくなる、というのも、ある程度理解はできます。
一方で、そうした規制や基準があるがために、
自国の昔からある伝統的な工法の住宅が
昔のように気安く、合法的に建てられない、というのも、
不自然な状況だと感じます。
もう何年も議論がされてきていることです。
どの観点から論議するのかによっても見出せる答えは違ってくるでしょう。


夏が終わり、
現場では荒壁付けが始まっています。










































 
| 『木を植える (あやうたの家)』 | 17:42 | - | - |
竹小舞をかく (あやうたの家 8)

この7月、
京都での個展を終えた臼杵さんは
土壁下地の竹小舞をかくために現場に入りました。
およそ1ヶ月間、泊まり込んで
竹小舞を仕上げてしまおうという予定。

私たちも7月の頭、
ほんの1日半ばかりですが、
手伝いに行きました。



家の方は野地板が張られ、
ガルバリウム鋼板葺きの屋根が完了しています。


軒下に竹を用意し、
編んでいく為のシュロ縄がぶら下げられています。


まず最初に
縦横のエツリ竹(ここではしの竹)を柱と土台・桁、梁の穴に差し込み、
それを貫という柱間を繋いでいる板材に釘で固定し、
そこに小舞竹をシュロ縄で結わえていきます。
まずは縦の小舞竹をかいていきます。


シルエットが美しい。
周囲の緑によく合います。


7月の日差しは強烈です。
屋根が焼けてくると、その輻射熱で屋内も暑くなってくるのですが・・。
ここでは屋根の下に設置した通気層が
なかなかの効力を発揮して、かなり暑さを防いでくれました。
垂木と野地板が二重になっていて、軒先の開口から入った空気は
温められて上昇し、そのまま・・


この棟の換気口から抜けて行ってしまいます。
夏場の屋根面からの輻射熱が防げると、
かなり室内の温度が変わることを如実に体感しました。


木だけで組まれた軸組は、
このような景色の中、違和感なくよく馴染んでいます。


吹き抜けの上で十字に組まれた太鼓梁。


さらにその上で登り梁が合掌に組まれ、
間を桁と骨梁が一体になりながら繋いでいきます。
屋根面は登り梁と母屋と野地板が一体になって固められています。



スタッフくりくりは元左官職人だったので
竹小舞をかくのも手慣れているはずと、
臼杵さんの大きな期待を受けていましたが・・・

横の小舞竹を結わえ始めると、
シュロ縄を細かい編目の間をくぐらしていくのがなかなか
やっかいになってきます。
手先の器用さと手の大きさ(小ささ)が問われるところ。
『元左官でも関係ありません(汗)』
二人組になって、
表から縄を渡して編んでいくと速いようですが・・。


臼杵さん。縦だけを結わえている間はまだやりやすい。
しかしこういう姿がさまになりますね。



1週間手伝いに来ていた木工家の田中さんが
テキパキと竹を切ってくれます。


・・・という感じで
想像以上に(?)進まないうちに、一日目は過ぎていきました。

(つづく)











| 『木を植える (あやうたの家)』 | 19:32 | - | - |
棟上げ ( あやうたの家 7 )
 
臼杵さんの家はいよいよ、
この26日より、刻んだ材とともに
南会津から3名の大工さんたちが棟上げの為に現場入りしました。
臼杵さんと現地の大工さんたちも合わせて
総勢6名とクレーン車によって、作業が進んでいます。

29日が棟上げ。
私とスタッフ栗橋は車で現場に向います。
瀬戸大橋経由でおよそ3時間半の道のり。
道中雨模様だったり、梅雨の天候が心配されましたが
現場はどうでしょうか・・・。


私たちの心配をよそに、
現場では無事に棟が上がっていました。


棟の上で五色の布もたなびいています。


平屋部の方は垂木も配られていました。


何でも昨日頑張ったお陰で、
この日の午前中、満ち潮に向う時間に棟が上げられたそうです。
よかったよかった。
潮が満ちて行く時に棟を上げるのが、
この辺りでは習わしになっているのだそうです。
縁起が良いとのことですが、
大きな流れにそうならばその方が良いだろう、と得心します。


登り梁と丸太梁が組み合わされた2階建部分上部の小屋組み。
吹き抜けの上では
太鼓引きの丸太梁が十字に組まれています。


この家は見えるところにはなるべく金物を使わず、
伝統的な構法で込み栓やほぞを使って材同士を接合しています。
壁は貫を通し、竹小舞を編んで土壁をつけます。
基礎はコンクリートですから、
昔の家と全く同じ造りというわけではありません。


大きく面をとった栗の大黒柱。
梁は会津の松。
臼杵さんがこの栗の柱を最初に購入したので、
この家の架構の構想は、この柱から始まりました。



この栗の柱の
限られた長さを活かしつつ2階をつくるために
梁を重ねるように組んでいく架構が
生まれてきました。


柱は杉の赤み勝ち、かつ背割りなし、で揃えました。
2年間くらいの天然乾燥です。
今後、多少割れが出てくるかもしれませんが、
なかなか見応えがありますね。
赤みは木の心材部分で、腐りにくく、虫にも食われにくい。
昔の民家では山で木を伐採し、そこで数年寝かせて
木の表皮側の白太(辺材部分)を腐らせてから使うようなことも
行なわれていました。
そちらは生きて成長している部分なので、
養分があって虫もつきやすく、腐りやすかったのです。
栃木県側の八溝山系の杉で、
向こうでは桧よりも揃えやすかったのですが、
赤みで揃ったのはなかなか素晴らしいこと。

土台は会津の栗が使われています。
朝方降った雨に濡れてタンニンが滲み出して流れています。
これが防腐のはたらきをします。
水に強く、腐りにくい栗は昔は鉄道の枕木として使われていました。


棟上げの神事の準備がされていきます。


2階で大黒柱の前に祭壇が組まれ、
大工で上ん台の樹の酒井社長が祝詞を読み上げて行きます。
ここに上がってくるのは7人と決まっています。
酒井さんに棟梁で墨付けをした管家さん、施主の臼杵さん、
設計者の私、森田、田村大工さん、基礎を施工した吉田組の藤原さん、
そしてこの日の為に南会津から駆けつけてきてくれたオグラの渡部さん。
去年の暮れに雪の南会津に木を買いに行ったのを思い出します・・→ 


漆の木で作られた棟札。
祝詞の後、管家棟梁が金槌で四隅の通し柱にささる胴差しの上を
七五三と叩いて締めていきます。
周りの森の中を槌の響く音が心地よくこだまして、
木が組まれて家が立ち上がったこと、
そこに命が吹き込まれたことを実感しました。


神事を無事に終えて、
下でお疲れさまの宴。

臼杵さんに酒井社長、管家棟梁。
天候に恵まれたせいか、
皆さん日焼けしています。お疲れさまです。
これで安心して会津に帰れますね!
臼杵さんも結構『こきつかわれた(笑)』というくらいの
活躍ぶりだったようでなにより、お疲れさまです〜。


同じく会津からの大工さんに、
後ろの方は後を引き継ぐ現地の大工さんたちと
基礎を施工した吉田組の吉田社長。こちらは臼杵さんの後輩で、
田村大工さんが同級生という繋がり。
そんな風に家を造れるって何だかいいですね。


この日は夜にもう一度泊まった民宿に集まって
打ち上げの宴で皆で盛り上がり・・・
翌朝早朝4時には会津勢の酒井さんたちは車で出発して
帰路につきました。遠路はるばるご苦労様でした!!


翌朝、もう一度現場に入って打ち合せと確認を行ないます。


平屋部の玄関側正面。


朝日を浴びて立ち上がる姿。
この中が吹き抜けのある居間になります。

中から見ると正面の山に向う眺めが楽しめます。


大屋根の上で
屋根の仕舞について、後を引き継いだ田村大工さんと打ち合せ。


登り梁に母屋を直行して納め、
野地板を張った時に
屋根面が構面として固まるようにしています。


平屋部の方は普通に小屋を組んで
垂木を流しています。


平屋の屋根は腕木で出桁を持ち出して、
軒の出を多くとっています。
軒下をつたって歩いて行く場ができていきます。


出桁の様子。


大屋根の野地板を張り始めました。


軒の高さを抑えて大地にしっかりと根を張るように、
緩やかでおおらかに広がる印象を持ちながら、
高みへ向かってしっかりと伸び上ってゆく部分もあり、
それをしっかりと支えるように、
木同士ががっしりと組まれたこの家は、
私がこれまで数年、おつきあいさせてもらってきた中で
臼杵さんという人から
受けとっている印象そのものなのかもしれません・・・。




この家の周囲の環境は本当に恵まれた印象です。
木立の向こうに家が見えます。


もう少し引いて見ると・・・・


手前の小さな家も臼杵さんの土地にあって、
ここは簡素ですがとても素敵な造りなので、
中を少しきれいにすれば雰囲気のある場所になりそうです。
こちらも楽しみです。


タイトルにある
あやうたの家 と言うのはこの土地の名前か
そう呼んでいるのですが、
『歌を綾なす』ように、
臼杵さんを介して結ばれた、
遠くや近くの多くの人々のうたう歌が、
ここで合わさってひとつの歌の複合的な響きになっていくようで、
それが今、この家が出来上がって行く過程を
表しているようにも感じられます。


こちらは
3日間の棟上げの作業の様子、
全行程に立ち会い、手伝った臼杵さんの紹介にて


















| 『木を植える (あやうたの家)』 | 00:02 | - | - |
基礎と刻み  ( あやうたの家 6 )

 


橋の上の列車の車窓から見る、朝の瀬戸内海。
穏やかな水面、沢山の島。
讃岐へ

臼杵さんの家の現場に
基礎の配筋検査と打ち合わせに行きます。



現場では基礎配筋が終わったところ。
家の位置と大きさが見えてきました。

元々ここには家が建っていました。
他所からの移築で建てたものだったそうで、
かつては古民家移築というのは割合普通のことだったようです。
昔は材の加工も手作業でしたから、
使える古材は繰り返し使われていました。




東向かいの斜面に向かってひらけています。
朝日がこちらから差し込んできます。
向かいの斜面には漆を植える予定だそうです。

検査と打ち合わせのあと、
玄関周りで使う延べ石を探しにいきました。


一方、
上に立ち上がる木の部分の加工が
会津で進んでいます。

加工を行っているのは 
材を購入したオグラさん()の協力業者で
上ん台の樹 の酒井建築さん。
長かった今年の冬がようやく明けて、今月末の棟上げに向けて
作業を進めています。




四国に建てる家の刻みを会津で行っている、なんと?
という感じもあるのですが・・。
ちょっと、ひもといてみると面白いことが見えてきました・・・。


材を購入した会津のオグラさんは代々の木地師の家系だそうです。
少し調べてみると、

木地師の先祖はそもそも、
小野宮 惟喬(これたか)親王の家来、太政大臣小椋(オグラ)実秀で
全ての木地師はここに繋がるとか。
山の七合目より上の木は自由に伐ってよいというお墨付きを持ち、
近江の東小椋村を本拠として、
各地の山を回遊して木を伐り加工していたそうです。

彼らと密接な関係を持っていたのが
うるしかき・塗師たちで、
木地挽きした器などに漆を塗っていました。
(・・・この辺りの消息は 宮本常一著『山に生きる人々』 に詳しいです。
面白いので興味があればご一読を。)

漆をかいて木工を行う臼杵さんが
木を求めてオグラさんに出逢ったこと。
漆を植えて漆をかき、
それを自分の加工した木工に塗る、
という、ある意味、とてもシンプルに
木工の本来のありように立ち返ろうとしている、
臼杵さんの本拠とする場づくりに、
そうしたルーツに繋がる人々が関わっていること。
その流れがここに注ぎ込まれていることは、
見方によっては、
ある意味とても自然なことのようにも見えてきます。



























| 『木を植える (あやうたの家)』 | 19:40 | - | - |
木舞下地の竹をつくる ( あやうたの家 6 )
 
すっかり春めいた日。
久しぶりに讃岐の敷地にやってきました。

臼杵さんは2月から何度かこちらに滞在して、
土壁の竹木舞下地に使う竹を準備しています。



上の青い竹が今月伐ったもの。
白くなっているのは2月に伐ったもの。

竹木舞に使う竹はマダケが良いそうです。
古くから弓、定規、扇子、籠、茶道具などに用いられてきた竹で
煤竹と呼ばれる民家の小屋裏で使われ、
囲炉裏の煙で燻されたようなものもマダケです。



これは破竹。似ているけどあまり使わないようです。



これはすずたけとかしのたけと呼ばれているもの
(だと思います。どちらかというと笹の種類ですね)。
細くて径が一定のまま長いので、
竹木舞の中では軸組に取りつく主要な骨組みであるエツリ竹()として
この辺りでは利用していたそうです。
今回は伐り旬を逃したので、割竹をエツリに使います。



マダケを割っているところ。
円形の金物を押し当てて、四つ割にします。



私も割ってみました。思ったより軽く割れます。
伐ってから間が空いて、竹が乾いてしまわなければ、
それほど力をかけなくてもすっと割れるようです。

3月に伐ったものは中から水が出てきました。
2月は出なかったそうで、
季節が変わって竹が活動を再開したもよう。つまり、伐り旬を少し過ぎたようです。
ひょっとするとこちらは夏場に虫がつくかもしれません。



割って開いたところ。節が残っていますので・・・



こんな風に鉈で飛ばしていきます。
臼杵さんのお母さんですが、若いころ、家を建てるときに
竹木舞を編んだり作ったりしたことがあると話されていました。

この2月3月で臼杵さんはご家族で木舞竹を1000本くらい作りました()。
手間さえいとわなければ、
家のそばにある材料で、壁の下地ができるのですね。
昔はそれがあたりまえだったのかもしれませんが・・・。


今日は実際に家の建つ位置をおおよそ確認してみます。

クスノキの古木を基準に、
邪魔にならないようにしながら、日当たりよくなるように
大体決めてあった位置を確認していきます。




竹を立てて、およその大きさと位置を確認。
東西の軸に合わせています。




かつて建っていた母屋より少し大きくなります。



東の窓からは少し下がっている敷地の東側が見えます。
テラスが出来て、
今植わっている梅や桃の花が楽しめるでしょう。

冬の間に竹の準備が完了したので、
確認申請を済ませたら
基礎工事、そして
軸組が出来上がってくるのを待ちます。







| 『木を植える (あやうたの家)』 | 12:12 | - | - |
冬の南会津に木を買いに行く ( あやうたの家 5 )
 
臼杵さん、
色々検討して、

夏に見に行った南会津のウッドバンク・オグラさんで
構造材の購入とその刻みまで行ってもらうことにしました。

来年春頃から工事にかかりたいので、
その前にということで、
軸組関係の図面をまとめて、25,26日と冬の南会津へ。

南と言っても南国ではありません。
会津の山の奥の方ですから・・・




・・聞いてはいましたが、すごい雪!
車で行くのを止めてよかった〜。
この一週間前は積雪1mあったとか・・・。気温は−6度くらいです。




この辺りで沢山採れる赤松の梁材。
なかなかきれいな木です。一番下の材をメインの梁で使うことに。



柱には八溝山系の杉を使うことにしました。
寒い地方だからか結構、目が詰んでいます。
芯持ちですが背割りを入れずに使うそうです。
後で割れがどれくらい出るのか、じっくり乾かしていると少ないのかな・・。



夏場に購入していた栗の木をどちら向きにどう使うか、決めます。
じっくり木を眺める臼杵さん。



使うまでに寝かせている間にまた少し木が動くので、
その時の削り代を残しながら、
表を少し削って表情を確かめます。

こちらの栗には背割りが入っています。
杉より動きやすい分、入れておかないとあちこち割れてしまうのでしょうね。

今は死に節などのある面(化粧として使えない面)に
背割りを入れることが多いのですが、
元々は、木が山に生えているときの斜面の下側<背:反対側を腹という>に
背割りを入れたそうです。
斜面の下側の方に生長するときの応力が集中しているからで、
そちらを割るほうが力を逃がすには効果があります。
背割り という名前もそこからつきました。



夏に購入した栗と桜材、確認したかったのですが
この雪では・・・。
しかし、この雪山に生えている木を見ていると、
先の背割りの話、
木の腹と背の様子もよくわかります。




泊まった宿の周りの朝。
見事に白い世界。



左手の茅葺(雪で見えませんが・・)古民家が、
今回お世話になった宿の北の家さん。
囲炉裏もあって、なかなかいい感じの宿でした。



宿の玄関には薪ストーブがあって、
こうして家の人の長靴が乾かされています。
白い雪の中から入ってくると、
この赤い火にほっとします・・・。

この辺りの人は雪が積もると
まだ暗いうちから起きだして、道や家の周りの雪かきをしています。
そうしないと朝、出勤出来ないからだそうです。



この辺りには新しい家で、
こんなふうに入口の方が急勾配の短い屋根がついて、
後ろが長い屋根の造りを時々見ます。
夏に来たときにはどうしてこうなっているのかわからなかったのですが、
冬にきて理由がわかりました。
入口側に落ちる雪の量を少なくするための工夫だったのですね。
雪をどうするか、本当に大変だと思います・・・。





夏に見つけた田んぼの中の美しい茅葺小屋。
冬もまた美しかった・・・。
水墨画のようです。




こんな道が延々と続く中、
雪をよく知らない二人が車で来ていたら、きっと遭難していますね(笑)。


行きも帰りも那須塩原まで、
オグラの渡部さんに車で送っていただきました。
どうもありがとうございました。


・・・遭難はしなかったのですが、
この寒さのせいか、帰りから風邪気味になり、
京都に帰り着いた時に本格的に風邪になって発熱、
色々な予定をキャンセルして、
そのまま年末年始まで寝込みました・・・。













| 『木を植える (あやうたの家)』 | 16:51 | - | - |
南会津へ行く 3 ( あやうたの家 4 )

 近くに前川集落という、
かつての曲り屋の姿をそのまま維持しながら
生活の場としているところがあると聞き、見に行きます。




草屋根は緑の風景によく調和します。



大きな草屋根の曲り屋が並びます。

軒が高いのは雪深いところだからでしょう。
それくらい積もったのでしょうね。
今はだいぶ雪も減ったそうですが、
昔は積もった雪を踏みかためて歩いたそうです。



北関東から東北に向かっていくと
民家の軒が段々上がってくるのはそれが大きな理由だったのでしょう。
それがまた、西国にはない独特の力強い表情を感じさせます。






屋根を元のように萱で葺き直していました。

今は囲炉裏のない家が多いでしょうから、
煙で燻して草屋根の耐久性を上げることができません。
屋根の傷みは早いのではないかと想像します。
維持していくのには、きっと色々なご苦労もあるでしょうが、
この美しい景観を守っていただいていることに感謝します。



移築した資料館。
この中はかつての姿を復元しています。




土間に面した囲炉裏のある板の間。
天井はなく、吹き抜けています。



その隣の部屋。亀屋さんの囲炉裏の間はここにあたりますね。
この部屋も囲炉裏がありますから天井はなく、
小屋裏まで吹き抜けています。



火伏(ひぶせ)と呼ばれるお守り。豊穣を祈願するもの。
アジアの国々でもその象徴としてよく見られます。




小屋裏の光。


雪国で天井のないこの開放的な造りはきっと寒かったでしょう。
寝室になる部屋は天井も低く、壁で囲まれていました。

囲炉裏は直火で当たっている面しか暖かくないので、
暖房としてはそれほど効果的なものではありません。
今の生活感覚では住みこなせないですね。


民家の形が継承されても
それを成立させていた生活を継承することは難しいことです。

ここではまだかつてのように
専業ではないかもしれませんが、農業が営まれており、
環境もそれなりに保たれているので、
多分、かつてのたたずまいや雰囲気と
それほどかけ離れてはいないと想像されます。



1907年に大火にあって、村中が焼けたときに
元通りに直そうと、村の人たちが一致して、
各地から大工や職方を集め、
全戸かつての姿に造りなおしたという、皆の決意があったことが、
今この場所をこのように維持していく大きな原動力になっているのでしょう。



しかし、それがうなずけるくらい、
ここは周りの環境とよく調和した、
平和で美しい集落です。



集落の真ん中を山から流れてくる豊かな水。

多分、この水に出会ったことから
ここに住もうと決めたのではないか・・・
と、この集落のはじまりのときのことを想像してみます。



その水で水車が廻っていました。


この近くにはもう一か所、
有名な大内宿というかつての姿をそのまま残した集落があります。

そちらはかつての街道沿いの宿場町です。
そこから紆余曲折、
主要な街道が別に通って物流や交通が減って、
半農半宿から農業だけになったりと、
時代や環境の変化を受けて、色々な過程を経ながらも、
かつての姿や村の組織が維持されていたことが
昭和40年代になってから評価を受けました。
その姿を維持していく方向性がとられ、
今では有名な観光地になって、
観光バスが乗りつける場所になりました。

そちらにもせっかくなので行ってみました。



ちょうどこの日は集落の神社のお祭りの日でした。
高倉神社といい、高倉宮以仁王を祀っています。
平家討伐の令旨を発した皇族で、
この地に逃れてきたという伝承があるそうです。




地道の両側に妻入りで寄棟の細長い家が
立ち並んでいます。
今はほとんどが土産物屋、飲食店など
観光客対象の営業をする店になっています。



本陣のあと。
街道筋なので、大名が宿泊することもあったのでしょう。
大きな建物です。中は資料館になっています。




この宿場で最古の家。400年を経ているそうです。

ある意味、かつての宿場町らしく
今も観光や旅で訪れる人たちをもてなす商いの場として
維持、成立している姿を面白いな、と思いました。


この二つの集落は古い姿を残しながらも
全く対照的な在り方をしています。
現代にあっても、
かつてのその集落の成り立ちに沿った発展、
在り方をしているのは興味深いことです。

しかし、どちらにも集落全体での合意や決意があったことが
その姿やまとまりを維持していくために
必要だったことでしょう。

それにしても
皆の同意を得られるだけの魅力が
そこにあったのは、ある意味幸せなことです。
それを足掛かりにして、現代にかつての姿を継承することができました。

過疎に悩み、農地や家々が荒れて廃れていく状況を抱える
現代の地方の多くの場所には
そのまま参考にはならないのかもしれませんが・・・。


その場所の可能性や
潜在した魅力を新たに見つけたり、生み出すことができれば
またかつてのものを引き継ぎながら、
新しい場づくりができるかもしれません。

そのことの方に少し光が見えるような気がします。
どんな場所にも何らかの可能性がないとはいえないからです。

例えば・・・



この旅の間に臼杵さんは
あちこちで漆の木を見つけていました。

今は放置されて誰も見向きもしていない、
忘れ去られた存在になっていますが、
これから漆がとれることを誰かが示して見せれば、
その扱いは変わるかもしれません。


臼杵さんがこれから造ろうとしている
自分の住まう場所でしようとしていることは、
単なる住まいづくりばかりではなく、

あの場所の新しい可能性を生み出していくこと、
そこから何かが生まれていく場所になって、
土地に根差しながら、
人がまた集まり交流する場所になっていくこと、

そんな夢も含まれているような気がするのです・・・・。

そのこころみは
ほんのささやかな始まりであっても
いいのだと思います。


実際に使う木材を見ながら、
臼杵さんが今回案内してくれた場所には
その無意識にある夢を、
確認して、こちらに伝えるようなことも
意図せずに含まれていたのかもしれません。



































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